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2022年度
奧・井ノ上記念日本青少年国連訪問団

I. 国連訪問団の活動について

本派遣事業の目的

この派遣事業は、将来、日本と国際社会の主役となる中学生、高校生の皆さんに、国際連合について知識と理解を深めてもらう事を通じて、外国の国々や国際連合を含む国際機関への興味を深め、国連外交というものをよりよく知ってもらいたいという願いをこめたプログラムです。

名称について

本件訪問団派遣事業は、平成13年度に当時外務省国連政策課長であった故・奥克彦大使の発案により始められたものであり、イラクの平和と復興を願いつつ殉職した奥大使及び井ノ上書記官の功績を称えると共に、日本の青少年に世界の平和と繁栄に貢献することの大切さを伝えるために、日本の国連加盟50周年にあたる平成18年より両名の名前を冠する事になりました。

活動内容

東京で結団式を行い、外務省及び国連広報センターを訪問し、国連の取組や日本の国連政策について、事前のブリーフを受けました。

ニューヨークでは国連本部を訪問するとともに、国連児童基金(UNICEF)といった国連機関の事務所において、その取組などについて説明を受けました。また、国際連合で働く日本人職員との懇親会や各国国連代表部訪問等も行い、国際連合のあり方や日本の貢献などについて理解を深めていただきました。

II. 奧・井ノ上記念日本青少年国連訪問団 日程

III. 参加者名簿

<中学生>

三浦 すみれ京都教育大学附属京都小中学校
大石 悠叶須賀川市立西袋中学校
牟田口 舞福岡大学附属大濠中学校

<高校生>

坂元 愛実鶴丸高等学校
井手 美優九州文化学園高等学校
兼頭 玄愛媛県立松山東高等学校
佐々木 結早稲田大学本庄高等学校

<日本国際連合協会>

金 薫好日本国際連合協会 職員

<添乗員>

山﨑 さなえ近畿日本ツーリスト株式会社

IV. 活動の記録

国連広報センター訪問

2023.3.27

私は東京の国連広報センターで、広報センター長を務められている根本さんという方に話を伺いました。

特に印象に残っていたのは、「1.5℃の約束 気候キャンペーン」の概要と目的、そしてそれに国連がどのような役割を果たしているかについてのお話でした。

気温上昇が多くの国々に深刻な被害をもたらしつつあること、それに対して日本が出来る事、そしてそれらの利害関係を調整する上で国連が果たしている役割について学ぶことが出来ました。

そしてそのような国連の活動は、前述の気候問題などの特定の分野だけではなく、紛争解決や途上国支援などにおいても同様の手法が応用されていることを知りました。

互いの問題点を解決する上で必要な客観性と正当性、これらを学ぶために様々な国の視点から物事を考えていく必要があることを、私たちは根本さんに教えていただきました。そしてこれらを体験し実感するために、翌日からのニューヨーク訪問をより充実したものにしたいという決意を新たにしました。

(福岡大学付属大濠中学校 牟田口 舞)

外務省訪問

2023.3.27

外務省を訪問して、憧れの外交官とお話をして、さらに自分を奮い立たせるような経験となりました。外務省に入ってまず驚いたのは「働く女性のための休息室」があったことです。外務省は日本の省庁の中でも特に女性の割合が高く、女性が働きやすい環境が整えられていました。すれ違う方も女性が多かったという印象です。お会いした今福大使は「価値観は一つではない。自分の意見を他人はどう見るか、客観的に捉えていく必要がある。他人の意見を取り入れることが大切だ」とおっしゃいました。これからの私の活動に生かしてくべき教訓のように思いました。外務省では主に拒否権や国連、サミットについて深く学びました。翌日からのNYでの研修に役立つ知識を事前に学べました。日本の外交の姿勢を考え実行していくまさに日本の最前線にいる外交官は広い視野と客観的視野が必要なのだと強く感じました。これからも日本の外交のあり方について考えていきたいと思います。

(鶴丸高等学校 坂元 愛実)

イラク政府代表部訪問

2023.3.29

イラク政府代表部を訪問させていただき、日本で得ていたイラクの情報が断片的だったことに気付かされた。

テロが蔓延っている、というイメージが強かったが、それによって国民が置かれている苦境は想像を超えていた。女性と子どもは特に悲惨な状況で、強姦によって生まれた子どもは、宗教的理由から身分証明書を得られないそうだ。ISISは油田やダムを破壊しており、国の収入源は絶たれ、国民は洪水などの災害に遭う可能性が高く、深刻な水不足に陥っている。

このような窮境を伝えると同時に、大使はイランの文化的価値についても強調してくれた。イランはメソポタミア文明の発祥地で、ギターや初期の電池はこの地で発明された。歴史的遺産に囲まれた、本当に豊かな国だという。しかし、その遺産もテロの被害を受けており、国連をはじめとする国際社会は保護の方法を模索している。

日本はイランが経済制裁を受ける前から輸出をしており、両国の外交的関係は深いとおっしゃっていた。断片的なイメージではなく、イランの実情を知ろうとする努力を続けなければならないと感じた。

(早稲田大学本庄高等学校 佐々木 結)

国連邦人職員との昼食懇談会

2023.3.29

昼食懇談会は、国連で実際に働く方のお話をざっくばらんにお聞きできる夢のような時間だ。

私は環境問題を解決したいという、ぼんやりとした夢は持っていたが、実際にこの機関で働く、という目標を持っていなかった。それでも、枠組みを作って目標を達成していきたいという自分のイメージを踏まえ、UNDPやUNEP、世界銀行など、様々な機関を紹介してくださった。これから、具体的に貢献する方法を模索していかなければならないと強く感じた。

また、昼食会でお話ししたのは、医療、安全保障、栄養など、専門家の方々だった。彼らは詳しい知識や経験だけでなく、フィールドに出て働くことへの熱意ももっていた。意見がぶつかり、大変なことも多いというが、自分の仕事に誇りを持ち、生き生きと語り合う姿はとても輝いて見えた。

(愛媛県立松山東高等学校 兼頭 玄)

日本政府代表部表敬訪問

2023.3.29

視察四日目、日本政府代表部の石兼大使からお話を伺う機会がありました。大変興味深い内容でありましたが、特に僕の中で印象深かったのは、「SDGsは全てがつながっている。」と教えて頂いたことでした。例えば、五番のジェンダーについての問題を解決する際、十番の人や国の不平等も解決しなければなりません。一見すると、それぞれが独立している様に見えていた十七の問題は、リンクしているということに気付かされたことは、僕の中の知見をより深めることになりました。

日本においては、すでに達成されている項目がある一方、世界の単位で見れば、国や地域で各項目の達成状況には大きな差が浮き彫りとなっています。生じた差を埋め、誰一人取り残すことのない社会の仕組みを築くためには、近くにある問題だけでなく、広い視野で物事を見ていく必要があると考えさせられました。

石兼大使との謁見の中で、SDGsの十七の目標は、ゴールの方向に向かっていることを感じることが出来ました。僕達が普段の生活の中で出来ることは限られますが、世界に視野を広げれば問題は山積しています。まずは身近にある問題を解決していくことが、ゆくゆくは世界的な問題の解決につながると信じ、ゴールに向かい少しずつ歩みを進めていきたいと思いました。

(須賀川市立西袋中学校 大石 悠叶)

V. 感想文

アクションを起こす

京都教育大学附属京都小中学校 三浦 すみれ

日本を超えて人生で初、アジアから出た私が衝撃を受けたこと。そして日本と1番の決定的な違いがあったとすれば、それはたくさんの個性がある中でそれを否定せず尊重しあっている、という事だろう。

今回、NYという世界最大の都市に研修としていかせていただいて私自身、学校でジェンダー平等をはじめそれぞれの個性を認めって尊重し合おうという事について探求してきたが、やはり日本から世界へ視野が広がると初めて見て聴くものばかりだった。

まずNYに来て一番初めに訪れた国連本部では国連職員の半分以上が女性であるということや、国連で立場が高い方、たくさんの人が、女の子、女性の権利について訴え続けているという事実を知った。それに関連して石兼大使が日本の女性の権利のあり方について、女性の進出が足りない、日本からはまだなぜか女性の首相が出ないとおっしゃっていた。今まで私自身、この女性の首相が1人も出ていないという事に何も疑問を抱かなかったが、当たり前を客観的に見つめてみると、どうして?と思うことが沢山あったと感じた。無理に女性の首相が出なければならないと言いたいわけではないが、日本の半分は女性であって日本のリーダーになる人だからこそ女性も日本を創る一員として新しい視点を入れていくべきだと強く思う。

当たり前を客観的にみるということからもうひとつ感じたことがある。それはユニセフ訪問の際に発展途上国の子供たちについておっしゃっていた事で、発展途上国の子供たちはやはり日本のようにある程度充実している教育を受けることのできない中だからこそ、すごく学ぶということに意欲があるという事だった。日本は良い意味でも悪い意味でも私達のような将来を担う若者にたいして良質な教育を提供している。私達若者はこの教育に対してこれが、世界には授業を受けたくても受けられない環境がある中で、当たり前だと思ってしまっていて、「学校行くの眠たいし、しんどいな。」という気持ちを私も感じる事がある。違う例でいえば、選挙権だってそうだ。昔は選挙権なんてない状態から、国民が中心となって国をつくる制度が国民の力によって基盤が作られていった。しかし昔の人がせっかく手に入れたその選挙権を当たり前だと思って年々選挙に参加する国民は下がりつつある。コロナウイルスの緊急事態宣言の際も、失って初めて、当たり前のおもみとありがたさに気付いた。私はこれらの話を通じて当たり前を当たり前だと思ってしまってはならないと改めて思い、この当たり前に対して常に感謝する心とそれに対する意欲もこれから先、様々な物事をこなす上でもとても重要なことになると感じた。

そして1番最初に、ニューヨーク研修で衝撃を受けたことについて、個性の認め合いと尊重という部分をあげた。やはりアメリカ、ニューヨークは日本とは違って、多文化社会である。肌の色も目の色も人それぞれだからこそ、周りとは違う小さなところも無理に隠そうとせずにいれる環境があると現地に行って気付いた。また私は英語がネイティブのように喋れるわけではないが、「Sorry」「Thank you」「You’re welcome」が言えれば通じ合うことが出来たように思う。なぜなら、アメリカの人はフレンドリーかつ、感謝の気持ちをどんな人に対しても述べるのが当たり前だからである。国民性の違いもあるが日本の良い所は謙虚なところ!といったようにアメリカの良い所はそこではないかなと思う。そしてお互いにお互いの良さをまねっこしあう事はそれぞれの国にとってすごく良いことだと思った。

最後に今回の研修では私だけではなくて他の受賞した方も一緒にニューヨークへ行って、研修メンバーのみんなにはたくさん気付かされたことがあった。1番、自分とみんなの違いで大きかったことは、自分達がこの国連の作文コンクールやスピーチコンテストを通してあげた課題に対して、自らアクションを起こしていたことだ。私は今回、課題をあげて、私達みんなに言える、変えていくべきところを作文にした。しかし何かアクションをしたわけではなかった。この振り返りで特に心に残っていることをまとめたが、アクションを起こすことは私の心に残っていることや課題を解決する上で私に今1番足りないところだと思った。そして視点を変えてみること、感謝の気持ち、意欲、これらは来年度には高校生になって段々社会からは大人として扱われるようになる中で、今できることを研修を通して実行していきたいと思う。

視察を振り返って

須賀川市立西袋中学校 大石 悠叶

この度、奥・井ノ上記念青少年国連視察派遣団として四年ぶりとなるアメリカ訪問に参加させて頂いたこと、まずは関係者の皆様に感謝させて頂きたいと思います。短い時間ではありましたが、その中での体験はこれまでの意識を大きく変える機会となりました。

視察前に参加者と共に、過去の体験談、何を学び吸収するかの心構えを伺い、襟を正して視察に臨むことが出来ました。

国連大学では日本のSDGsの進行状況、国連での問題点と対策、私達の共通の課題やユースの活動についてお話を伺いました。地球上のあらゆる問題を網羅しているSDGsの課題も、各国の取り組みや達成状況には差があり、先進国も途上国も繋げて考える認識が大事であることや、気候変動による1.5℃の約束も身近で当たり前の行動であると意識を変えなければならないことを学びました。

十三時間に渡るフライトを経て、初めての海外の地、ニューヨークに降り立ちました。ずらりと並ぶ万国旗や世界平和を訴えるオブジェが出迎えた国連ツアーでは、本会議場や各施設を見て回り、午後からはユニセフを訪問し世界の貧困や飢餓の状況、活動内容についてお話をいただきました。

国連職員の方々との懇談会の中で、「母国以外の思想を知り、会話を重ねることが相手を知り、世界平和に繋がる。」とのお言葉をいただき、世界共通のツールである以上に、外国語を究める真の意味を理解出来ました。

イラクとアメリカの政府代表部訪問では、各国が直面する問題について、様々な角度からの視点で解決へと導く姿勢が重要であると学びました。特に、内戦に終止符を打つ懸命な政府の姿や、内戦が招いた被害や難民への救済活動を伺ううちに、イラクに対する僕の偏見が修正されたことは大きな収穫でした。

自分の無知で未熟な存在を再認識した研修でしたが、今回の貴重な経験をどう活かしていくかがが重要です。考えの視野を広げ、行動に移す根底の足がかりとなる充実した視察になりました。この素晴らしい経験を啓蒙し、SDGsの達成に向けて、身近な視点で発信していきたいと思います。

そして困難に出会す時、固定観念を捨て、俯瞰して状況を見定め、柔軟に対応していくことで、物事を解決していく姿勢を忘れないよう心がけていきたいと思います。

令和4年度 奥・井ノ上記念 日本青少年国連視察派遣団に参加させていただいて

福岡大学附属大濠中学校 牟田口 舞

コロナ禍がようやく落ち着きを取り戻しつつある二〇二三年、私は幸運にも青少年国連視察派遣団に参加させていただく機会を得ました。

渡米前に訪問させていただいた国連広報センターでは根本センター長より、気候変動や紛争・難民支援などに対する国連の役割について教えていただきました。また外務省では今福大使より、価値観の多様性を時間をかけてお互いに認め合うことが問題解決の第一歩であるという事を学びました。これまで海外を訪問したことのなかった私はこれまで伺ったお話を通じて、日本以外の国について自分の目と耳で体験することの大切さを実感するとともに、この貴重な機会に改めて感謝しました。

そしていよいよニューヨーク、到着後すぐに国連本部とUNICEFを訪問させていただきました。職員の大久保さんからは、ご自身の途上国の経験をもとに国際社会の援助の在り方について教えていただきました。

さらにイラク政府代表部も訪問させていただきました。イラクの問題についてアメリカでそれをどう訴えていくか、そして両国の相互理解のために国連がどのように関わっているかについて、大使からお話を伺うことが出来ました。

アメリカ政府代表部では、多民族国家としてのアメリカ、そして核兵器についての考え方などを学びました。様々な意見を理解するとともに、自分の意見を発信していくことの大切さを強調されていたのが印象的でした。

最終日では、日本政府代表部の職員の方とお話しさせていただきました。様々なキャリアの方がいらっしゃいましたが、国連で働くためには強いモチベーションを持って具体的に専門知識を学んでいく必要があると、共通して話されていました。また「日本を客観的に見るためには日本を離れる必要がある」という言葉を頂いて、今回のニューヨーク訪問をとても有意義なものに感じることが出来ました。また石兼大使にはジェンダー平等の問題について丁寧にお話しいただきました。

以上、今回の訪問では日本国内だけでは学ぶことの難しい、海外における様々な機関の活動について学ぶことが出来ました。そして何よりも印象に残ったのは、一緒に訪問させていただいた中高生の皆さんが、きちんとした自分の意見を持って現地の情報をどん欲に吸収されていたことです。参加者で最年少の私にとってそれがこれから学ぶ上で大きな刺激になったのは言うまでもありません。自分に、そして周囲に少しでも良い影響を与えることが出来るように、今回の経験を活かしていきたいと思います。

奥・井ノ上記念日本青少年国連訪問団に参加して

鶴丸高等学校 坂元 愛実

奥・井之上記念日本青少年国連訪問団の一人として今回様々な経験をさせていただきました。新型コロナによる制限で実施されるか少し不安でしたが、外務省、国連協会の皆様をはじめとする多くの関係者の皆様の協力のもと、こうしてNYに派遣されたことを嬉しく思います。今国際情勢は荒れており、国連加盟国193の国で協力していくにはほど遠い現状であります。今回お会いした方の中には世界各国で「ぐったりした子供を抱いた両親が車を必死に止めようとしているところを見た」とか「自分のいた事務所が爆弾で破壊された」などの厳しい現実を経験された方が多くいらっしゃいました。日本にいては、なかなか気付けないことでした。日本に住む私たちには義務教育があり、美味しいご飯があり、大切な家族や友人と毎日安心して暮らせる環境があります。この恵まれすぎた環境が当たり前になっています。自分の国が良ければそれでいいんだと思う人もいるでしょう。しかし、今世界には核兵器が多く存在し、私たちを危険に晒す可能性も大いに考えられます。国連ではそのことが常に協議されていました。目の前で世界の専門家や各国の代表が世界の方向性を決めているのを見て、震えました。世界の中心だけでなく様々な国で支援を続けている人がいることをしりました。ユニセフには殉死された方を思い出すための記念碑がありました。悲しい現実を受け止めながら少しずつ前進しようとする方々に尊敬の念を抱くと共に「自分も最前線でいろんな人と協力して世界をつくりたい」と思っている自分に気がつきました。生涯忘れることのない貴重な経験でした。私も自分の夢に向かって努力していく勇気を得ました。また、この研修で出会った仲間はどこに行っても積極的に質問をし、自分の想いをぶつけていました。視野が広く、一つのことを深く掘り下げる仲間にたくさんの刺激をもらいました。これからもこの縁を大切にして、交流を続けたいと思います。

奥・井ノ上記念日本青少年国連訪問団に参加して

九州文化学園高等学校 井手 美優

高校生活も終わりに近づいた私に、突然、世界への扉が開きました。『国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール』で、国連訪問研修の機会が与えられたのです。私はこのまたとない機会を得て、世界に視野を広げたいという思いを胸にニューヨークに出発しました。時差による不思議な感覚と、見上げた空の狭さから感じた摩天楼の高さに、アメリカに来たのだと実感しました。

翌日からの研修の中で、特に私はユニセフ訪問が心に残っています。そこでは、大久保智夫さんより、自らが国際協力に興味を持った理由、そしてバングラデシュのNGOでの経験などから世界の貧困や飢餓の状況についてお話を伺いました。

そのお話の中で、私はパートナーシップの大切さを学びました。ユニセフは任務の遂行のために、他者の協力を仰ぎながら活動しています。他の国家機関や各国政府、NGO、企業などのパートナーシップを通じて、それぞれの活動を組み合わせ、各々が持つ独自の能力を活用することで、子どもたちへの大きな支援に繋がっているそうです。多くの人と協力して解決する、このことはすべてのことに通じることだと感じました。

また、ユニセフの職員の中には活動の際に、災害や紛争に巻き込まれ亡くなられた方も数多くいます。自分の命に替えてでも最前線で活動し続けた人がいることを忘れてはいけないと思いました。

今回、ユニセフの役割を知り、子どもたちがどんな状況であっても笑顔で成長できる世界が実現することを目指して、私たちができることをやっていきたいと思いました。それはもちろん募金もそうですが、ユニセフの活動や世界の状況をよく理解し、何が世界には必要なのかを考え、実践することの大切さを多くの人に伝えていくことだと思います。よりよい未来を作るのは私たちだ、ということを忘れないようにしたいと考えています。

このような素晴らしい機会を与えていただき、ありがとうございました。

Why am I here?

愛媛県立松山東高等学校 兼頭 玄

Why am I here?

センセイから、この言葉とノートが送られてきた。旅の出発前、私はこの言葉をしっかりと胸に刻んだ。

私の夢は、世界中の仲間と社会問題を解決すること。今回の研修は私にとって、実際に世界で活躍する大人の生の声を聴いたり、志を共にする同世代の仲間たちと意見を交わしあったりできる素晴らしいチャンスだった。

常に自分の目標を軸とし、成長のチャンスをものにするための、Why am I here?だ。

今、研修を終えて、「幸せな」世界を作るために働きたいという思いはより一層高まった。そして、自分の中に一つのテーマが生まれた。それは、誰もが平等に自分の価値観を表現でき、平等に認められる、ということだ。ユニセフに訪問した際、職員の大久保智夫氏が私たちにお話をしてくださった。私が、「世界中の人と協働するために心がけていること」を問うと、このようなことをお話しししてくれた。

国際的な話し合いの場では、英語が使われる。英語がわからない人は、翻訳がついているが、どうしても話し合いに遅れてしまう。そんな人にも大久保さんはテンポを合わせ、意見に耳を傾けるようにしているそうだ。その雰囲気を周囲に広めていくことも意識している。

世界には様々な立場の国や人が存在する。それぞれに目指すものがあり、信じるものがある。今、国連においては、多数派の意見や、経済大国の意見が影響を持つ側面がある。しかしその結果、あらゆる争いが起きているのではないかと思うのだ。

みんなが、お互いの良さを認め合い、お互いの意見を尊重しあいながら対話を重ねていく。それが問題解決への一番の近道ではないか。

社会が様々な危機に直面している今日だからこそ、私たちは。対話をあきらめない。改革を恐れない。明日を愛し、互いの幸福を祈る。それが私の出した一つの解だ。

NYに渡航してみて

早稲田大学本庄高等学院 佐々木 結

毎日が宝石のような6日間だった。視察団に加われたことを光栄に思うし、感謝してもしきれない。ここではNYで私が得た「宝物」を共有できたらと思う。

NYに降り立ってまず一番に驚いたのは、街が臭いことだった。自分の鼻を疑ったが、明らかに糞尿の匂いがした。公衆トイレは八割方流れておらず、地面には黄色の水たまりやゴミが散乱していた。国連本部や政府代表部の前は別だが、一歩逸れるとホームレスが路上で寝ていた。碁盤の目上に区画された歩道には HALAL と書かれた小さな屋台が並び、中東系の人々が所狭しと商売していた。タイムズスクエアの周りではチュロスを路上販売するヒスパニック系の人々を沢山見かけた。空港の保安検査員はほとんどが黒人だった。

つまり、NYには格差があった。世界中の文化・人種が混じり合う、多様性に溢れた素晴らしい街であることは確かだが、人種間の経済的格差は目に見えた。帰国後に調べてみると、NYのホームレス人口はコロナ禍でさらに悪化し7万人以上。路上で用を足すしかない人も多いらしい。多様性は、格差のない社会でこそ輝くと思う。世界の中心の現状を知り、私もそのような社会づくりに貢献したいという念に駆られた。

また、国連職員の方のお話を伺う中で感じたのは「フィールドに出ることの大切さ」だ。UNICEF勤務の日本人職員の方は、インターンで訪れたバングラデッシュの子どもたちが忘れられないという。毎朝缶を拾ってお金を稼ぎ、そのお金でバスに乗って学校に来るらしい。他の職員の方々も、世界各国の現状を自分の目で見てきた方ばかりだった。

「ぬるま湯」に喩えられる日本社会を飛び出し、ショックを受ける。それでこそ現地の人々に寄り添った支援ができるし、働く活力が生まれるのだと思った。そのショックを恐れ、机上の仕事ばかりをしていては、今回お会いした方々のような強く、何かに突き動かされているような眼差しは得られないのだと感じた。世界平和に貢献したいのであれば、悲惨な光景も見なければいけない。私も将来さまざまな国に足を運びたいと思った。

私は大学で政治と経済を学びたい。今回経験させていただいたことを一生忘れず、実学を身につけて、学問を人を助けるために使いたい。

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