



2024年度
奥・井ノ上記念日本青少年国連訪問団
I. 国連訪問団の活動について
本派遣事業の目的
この派遣事業は、将来、日本と国際社会の主役となる中学生、高校生の皆さんに、国際連合について知識と理解を深めてもらう事を通じて、外国の国々や国際連合を含む国際機関への興味を深め、国連外交というものをよりよく知ってもらいたいという願いをこめたプログラムです。
名称について
本件訪問団派遣事業は、平成13年度に当時外務省国連政策課長であった故・奥克彦大使の発案により始められたものであり、イラクの平和と復興を願いつつ殉職した奥大使及び井ノ上書記官の功績を称えると共に、日本の青少年に世界の平和と繁栄に貢献することの大切さを伝えるために、日本の国連加盟50周年にあたる平成18年より両名の名前を冠する事になりました。
活動内容
東京で結団式を行い、外務省及び国連広報センターを訪問し、国連の取組や日本の国連政策について、事前のブリーフを受けました。
ニューヨークでは国連本部を訪問するとともに、国連児童基金(UNICEF)といった国連機関の事務所において、その取組などについて説明を受けました。また、国際連合で働く日本人職員との懇親会や各国国連代表部訪問、現地学生との交流も行い、国際連合のあり方や日本の貢献などについて理解を深めていただきました。
II. 奥・井ノ上記念日本青少年国連訪問団 日程

III. 参加者名簿
<中学生>
藤本 絢銘 | さいたま市立岸中学校 |
片岡 睦深 | 島根大学教育学部附属義務教育学校後期課程 |
伊藤 華玲 | 渋谷教育学園幕張中学校 |
鈴木 慶雅 | 山形大学附属中学校 |
<高校生>
ブラッドリー 美碧 スカイ | 九州文化学園高等学校 |
野中 真里 | 山梨英和高等学校 |
小森 龍太郎 | 灘高等学校 |
高橋 くらら | 新潟県立新潟高等学校 |
<日本国際連合協会>
金 薫好 | 日本国際連合協会 職員 |
<添乗員手配>
株式会社日本旅行 |
IV. 活動の記録
国連広報センター訪問
2025.3.24
奥・井上記念国連訪問団として、私たちは東京都にある国連広報センターを訪問し、所長からブリーフィングを受ける貴重な機会を得た。ブリーフィングでは、創設から 80年を迎える国際連合が現在いかに大きな岐路に立たされているか、そしてその再活性化には各加盟国の団結と協力が不可欠であるという現状が語られた。多国間主義が試練に直面する中で、国連の役割を再確認し、その意義を広く発信していくことの重要性が強調された。
また、私たちがニューヨークの国連本部を実際に訪れ、現場で感じたことや学んだことを、帰国後に自分たちの言葉で多くの人々に共有してほしいという期待も寄せられた。参加者との活発な質疑応答も行われ、国連の持続可能な開発目標(SDGs)や、平和維持活動、人権の保護といった多岐にわたる国連の取組に対して、より具体的な理解を深めることができた。
今回の訪問を通じて、国連が直面する課題と、それを乗り越えるために必要なグローバルな連携の大切さを実感した。今後は、この経験を一人の市民として社会に還元し、より多くの人々と国際的な課題について考え、行動するきっかけを作っていきたい。
(山形大学附属中学校 鈴木 慶雅)
外務省訪問
2025.3.24
なんて洗練された場所だろう。研修 2日目に訪問させていただいた外務省。たった 2時間半の訪問で、その虜になってしまった。
厳重な警備をくぐって入省したその瞬間から、僕はその雰囲気に圧倒されていた。広大な土地、足早に歩く外務官。英語で談笑している訪問者。ただただ気圧されるばかりだった。
外交官とのセッションでは本当に刺激を受けた。彼らが実在して、日々ミクロに日本という国家を支えているということ。そんな当たり前の事実を、ひしひしと実感した。
僕は入念に準備していたありったけの質問をぶつけた。一学生の未熟な質問の数々に、外務官の皆さんは一つ一つ向き合ってくださった。ありきたりなリベラル論ではなく、外交官ならではのリアルな視点を提供して下さったことが、本当に嬉しかった。
一番印象に残ったセッションは国際会議についてのものだ。会議にはリーダーシップを取る人がいて、機知に富んだスピーチがあり、裏交渉がある。大使がプレーヤーとして時に大胆に、時に訓令に従い冷徹に動く。机上の空論を会議に打ち出し、国際社会を動かす外交官の仕事に憧れを感じた。
僕は与えられた全ての機会で限界まで知識を吸収してみせる、そう決団式で決意表明した。きっと、外交の舞台で動いている人達からすれば当たり前のことだ。これからも我々は勉強し続け、体験し学び続けなければならない。いつか彼らとともに日本を支えていきたいから。
(灘高等学校 小森 龍太郎)
外務省訪問
2025.3.24
私の夢は外交官になることなので、外務省に訪問できたことがとても嬉しかった。職員の方からは「トランスジェンダーなど多様な思想が発達することで世界は混沌とし、先が見通せない世の中になった」とおっしゃられた。私も同じ思いだった。自分の悩みを SNSなどで世界に発信し、理解を得ること、また自身の考えを主張し、問題解決に導こうとすることは大事だと思う。しかし、当事者以外の人に不快感を与えることもある。
こういう経験をしたことがある。台湾に行った時に男女共用トイレに入って、小便器と男性達が見えた時には不快感があった。男女共用トイレはトランスジェンダーには優しい空間ではあるが、そうではない人には不快を感じさせる場合がある。両方の意見を尊重する必要がある。単に小便器を共同スペースに移すのではなく、個室を増やす必要があると思った。それでも問題はあるが、何かしらの試みが必要だと思った。
職員の方は更に「デマ情報に騙されないために、地図を見て世界を知ること、話すことで物事の正確性を高めていくことが大事」とおっしゃった。私はただ単に流れて来た情報を見て、話すだけでなく、自分から調べ、学んでいき、自分の頭で考えながら情報の正確性を高めていくことが大事だと思った。
訪問を通じて、私たち若者が学びながら情報を得ること、社会の問題に目を向けること、そして自分たちで考え、工夫することで問題を乗り越えられるのではないかと思った。
(さいたま市立岸中学校 藤本 絢銘)
UNICEF 訪問
2025.3.25
ニューヨークに着いた翌日、私達は UNICEF の事務所を訪問させて頂きました。UNICEF で対応してくださったのは日本人職員の武居利恵様でした。まず武居様は UNICEF の活動内容や UNICEF が果たす役割などについて説明してくださいました。その中で私が最も印象に残ったことは、「UNICEF と他機関との連携、チームワークの重要性」です。例えば世界ポリオ根絶戦略では WHO と、難民問題では UNHCR と、そして教育問題では UNESCO と連携して活動するなど、児童に関わる事案は積極的に、多岐に渡り活動されているということです。
私たち人間は生まれてくる場所を選ぶことはできません。当たり前にきれいな水を使うことができ、明るい清潔な部屋で生活ができる。そしてきちんとした食事を毎日摂ることが出来る。「私たちの当たり前の日常」すら、難しい子供たちが世界中にはまだまだたくさんいるということを改めて実感するとともに、自分がいる環境に深く感謝しました。
世界中の子供たちが安全で、健康に大人になれる世界を築くためには何をすることが出来るのか、これからも考えていきたいと思います。
(山梨英和高校 野中 真里)
アメリカ政府代表部訪問
2025.3.25
私は今回、アメリカ政府代表の方とお会いする機会を頂くことができました。国連の常任理事国であり、さらにその中でも最も影響力のあるアメリカ政府の代表部の方々とお話ができるということで、とても緊張しました。また、トランプ政権に代わり、これまでとは違ったアメリカが見られるのではないかという興味もあり、私はこれまでとどのような変化があるのかを尋ねました。主要な経済政策としての税制改革、関税引き上げ、エネルギー分野をはじめとする規制緩和など、これまでの動きとある意味正反対な取り組みをすることも担当官の方は語られました。私は、その内容はもちろん、世界レベル地球レベルのことが短期間で変化していることに驚きました。“予測不能な社会”という言葉を授業などでよく聞いていましたが、まさにそのような時代が訪れているのだと、強く実感しました。
そしてもう一つ心に残った言葉がありました。そのような激動の社会においては、変化そのものよりも、どうやって関係を保つかが重要だと仰っていたことです。さらに、外交で大切なことはどう自分を表現するか、そしてどう伝えるかが大切だと伝えてくださいました。この言葉こそが、私が今後目指すべきことだと感じ、心に深く刻まれました。その言葉をまさに体現したような、堂々かつ洗練された様子の担当官の姿と共に。
今後、移り行く世界情勢の中で自分が目指す指針が見えたと言える貴重な訪問となりました。
(九州文化学園高等学校 ブラッドリー 美碧 スカイ)
日本政府代表部訪問
2025.3.25
国際連合日本政府代表団が担っている役割は、国連傘下の多くの機関を取りまとめるという非常に重要で多忙なものであると理解していた。それゆえ、訪問前は緊張と不安があったが、代表の真剣な表情に触れ、その不安はすぐに消えた。
現在、世界情勢は極めて不安定で、ほんのわずかな指針の違いが大きな争いを引き起こす可能性があると感じている。国際連合はそのような状況を食い止め、平和の維持を目指して重要な役割を果たしていると、改めて実感した。また、日本が置かれている国際的な立場も決して簡単ではなく、日本政府代表団の人々が背負っている責任の重さは、想像を遥かに超えている。
今回の訪問を通じて、「平和を築くためにできることは何か?」という問いを真剣に考えるようになった。紛争や対立が絶えない世界で、私たちはどうやって理解し合い、協力し合うことができるのか。個々の力では限界があるかもしれないが、国際連合のような組織が橋渡しをすることで、対話と協調を実現し、少しずつでも平和を築くことができるのだと強く感じた。
ニューヨークでの訪問は、単なる視察にとどまらず、国際連合の使命と日本の外交政策の重要性について深く考える貴重な機会となった。この訪問が、ただの一瞬の経験にとどまらず、これからの生き方を見つめ直す契機となったことに、心から感謝している。
(新潟県立新潟高等学校 高橋 くらら)
国連ツアー
2025.3.26
国連ツアーでは、国連本部の会議場や各国からの寄贈品、平和に関する展示などを、ガイドしていただきながら見て回りました。
色々と見聞きした中でも特に衝撃を受けたのは、全世界の毎日の軍事費を表した展示です。軍事費を表す円の大きさと軍縮費を表す円の小ささを見て驚きました。国連本部は各国の首脳が集まる場所でもあります。私がツアーで見たり学んだりしたこと、例えば被爆したアグネス像から見て取れる原爆の恐ろしさや、地雷や不発弾によって今なお苦しんでいる人たちのことなどを各国首脳も知っています。それでも軍縮ではなく軍事費に多くの資金が使われているのが現実なのです。訪問団として国連機関や政府の方々のお話を伺い、これには複雑な事情が絡まっていることも分かっていました。だからこそ各国の行動を 調和したり、平和合意の仲介をしたりする国連の役割が、とても重要なのだと感じました。
総会議場に足を踏み入れた時、とても感動しました。この場所で今起きている戦争を止めようと重要な会議が行われてきたことや、SDGs の目標達成にむけた数々の決議案が採択されてきたことを思うと、平和に向けた大きな力の起点となる場所なのだと心が震えました。
限られた時間でしたが、濃密で学びの多い貴重な時間を過ごすことができました。国連本部に足を踏み入れて感じたこと、考えたことを忘れずに、平和に貢献するために自分に何ができるのか、探していきたいです。
(島根大学教育学部附属義務教育学校 片岡 睦深)
国連ツアー
2025.3.26
旅の終盤に訪れた国連本部には、専門機関らしい設備が多く集まっていた。一方で、各国から寄贈されたアートやオブジェもあり、思っていたよりもずっと、一般の人にも開かれた素敵な場所だった。
ツアーの始めに、ガイドの職員の方に連れられてガラス扉を入ると、一階からすぐ、色とりどりの寄贈品が目に入った。1966年に宇宙条約が制定された際のプレートや、第二次世界大戦後の日本から始まった平和の鐘。それぞれが深い象徴的意味を持っていて、さすが世界中の平和への願いが集まる場所だと感心した。
二階の大使専用フロアにあった壮大な二つの壁画が、美術品の中では最も印象に残った。朝、大使たちが出勤してくる方向から見える壁画には「戦争」、反対に退勤する際に見える壁画には「平和」と名がついている。議場に入っていく際は二度と戦争を起こさないようにと気を引き締め、帰りはその日一日平和を保つために貢献できたと思えるよう配置されているそうだ。一つ一つの意味だけでなく、配置にも工夫している点に感銘を受けた。
三階には、一番の目玉の安全保障理事会議場と総会議場などがあった。安保理は進行中で入れなかったが、経済社会理事会は会議中の議場の後ろを通って様子を見ることができた。貴重な体験に感謝しつつ、できる限りゆっくりと通り抜けた。総会議場は、会議中でなかったためじっくりと見ることができた。
テレビや教科書で見た有名な機関、そしてどれも技巧を凝らされた数々の美術を見ているうちに、一時間半ほどのツアーはあっという間に終わっていた。いつか我々派遣団の中の何人かが、この場で実際に働く日を夢見つつ、今回最後の国連・外交関係施設を後にした。
(渋谷教育学園幕張中学校 伊藤 華玲)
V. 感想文
マメナシの花のように
九州文化学園高等学校 ブラッドリー 美碧 スカイ
私が『国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール』に出場するきっかけは、ウクライナから戦火を逃れて避難してきたクラスメイトとの出会いでした。それまで私にとって戦争は、別世界のお話でした。しかし、戦争によって大きく人生が変えられ、恐怖から逃れられないクラスメイトの姿は、私に戦争の恐ろしさを実感させたのです。私は、戦争について調べそして考え、コンクールでは戦争を否定し平和を実現するための自分なりの考えを訴え、今回の訪問団に参加できることができました。
そして訪れたニューヨーク。ここで再び私は衝撃を受けることになります。グラウンド・ゼロの訪問です。2001年9月11日、約3000 の命が一瞬で奪われました。同時多発テロ事件のことは事実として知っていましたが、実際にその場に立ち、私は何とも言えない重い雰囲気が感じられ、見上げた建物のガラスのカーテンのような壁は、とてつもない悲しみを湛えているかのようでした。
ここで起きたテロ事件も、クラスメイトが苦しめられている戦争も、まさに理不尽な力による現状の変更を目的とした愚かで憤ろしい行為です。私はこの場に立つことができた者として、理不尽な力により犠牲となった人々に哀悼の気持ちを捧げました。
そのような悲しい気持ちで見学をしていた私に、敷地内の1本の木に目が留まりました。その木は“サバイバーツリー”と呼ばれていて、このテロの現場にあった瓦礫の中から発見された木で、押し潰され根も弱った状態から生き残ったそうです。この木は、希望と復興の象徴であり、私たちに諦めるな、と励ましてくれているような気がしました。そこで私は改めて戦争やテロリズムには、断固とした否定の気持ちを持ち続け、理不尽な力には抗う心を持ち続けることが必要だと感じました。
この研修が始まる前、この訪問団の名称にもなっている、奥・井ノ上両外交官のことを調べました。理不尽な力に対抗して平和の実現を目指し、命を賭して尽くされたお二人の姿勢は、私たちが生きている現代社会にこそ必要なことです。また、グラウンド・ゼロは単なる哀悼の施設ではありません。そこには何物にも屈せず、平和を求めていくという強い意志が感じられました。私は、その意志と二人の日本人の外交官の遺志を重ね合わせ、これからも努力を続けたいと心に誓いました。
サバイバーツリー、マメナシの花のように真っ白な平和な世界の実現を目指して。
国連という名のレンズを通して見える景色
山梨英和高等学校 野中 真里
「すっごいねぇ~」、一緒に行った仲間たちと私は思わず絶叫してしまった。初めて見る巨大都市ニューヨークは、頭の中がマヒしてしまうくらい大きな衝撃だった。バスの車窓から見える夜のマンハッタン。キラキラ光る巨大な電光掲示板に映る野球や食べ物の広告。横断歩道を行き交う様々な人種の人たち。「これぞまさにニューヨーク!世界の中心だ!」。テレビで見るのとは全く違う迫力に圧倒された。タイムズスクエアに隣接しているホテルでは、深夜でも人々が行き交う声がし、「眠らない街ニューヨーク」を初日から体験した。
3日間のニューヨーク滞在は街並みの衝撃も大きなものであったが、国連職員の方々から共通して発信された言葉にも大きな衝撃を受けた。それは「国連の立場が弱くなってきた」ということだ。国連がイニシアティブをとらなければならない課題が山積みであるにも関わらず、解決が難しい現状があり、国連の必要性まで問われる事態となってきているそうだ。今が正念場だとおっしゃっていた。国連の真価が問われる時が来たと。
私の国連に対する印象はスーパーヒーロー。紛争地帯や難民キャンプに赴き、助けを必要としている人たちに、必要な助けをする。世界のリーダーたちを前に、平等と平和を訴える。これが国連の働きであり、職員の方々の姿だ。私が実際に日本で、そしてニューヨークでお目にかかった国連職員の方たちも皆さんイメージ通りのスーパーヒーローだった。
「なのになぜ??」私は日本に帰って来てからもずっと考え続けた。
そして外務省の方が「国連という名のレンズを通して見える景色をしっかり現地で見ておいで」と仰ったことを思い出した。
例えば、どこの国の世界地図も自分の国を中心に描かれている。つまり自国からの見た視点で世界を捉えているということだ。一方、国連の旗に描かれている世界地図は北極中心に地球を上から見た地図だ。特定のどこかの国が中心となるのではく、米ソの領土の問題や、南極がどこの国にも属さないということを明確にするためにわざと地図上に載せない、など配慮された地図になっている。それぞれが自国の利益ばかりを追求し、自己の立場を主張し続けたらどうなるのか。国連が一生懸命ルールを作ったとしても、各国がルールを守ろうと努力しないと達成はできないのである。各国が「自国のレンズ」と「国連という名のレンズ」を持ち合わせたら、武力や財力で力を表す必要がないことに気づくことが出来るのかもしれない。
最後になりましたが、このような貴重な経験をさせてくださった外務省や日本国際連合協会の方々に深い敬意と感謝の意を表します。そしてこの実り多い時間を共に過ごした 8名の仲間たち、添乗員のお二人、大会出場前からご指導・応援してくださった学校の先生方、そして快く送り出してくれて家族にも感謝致します。ありがとうございました。
理解の及ばないこの世界で
灘高等学校 小森 龍太郎
この世界は理解できないことだらけだ。だから差別があって、戦争が起きる。
ウクライナ戦争、パレスチナ問題、台湾有事の危機。世界は今、傷だらけ。視察前、僕はこれらの問題に介入できていない国連の存在意義に疑念を抱き、国際社会の行く末を見通す希望を持てなかった。それは、僕が世界が一人一人のミクロな努力によって動いていることを理解できていなかったからだ。
外交官は数多の会議に参加し、日本の進む道を切り開いている。国連で日本代表が奔走し、UNICEF の職員は途上国で命を救い、国連広報センターは情報を提供し続けている。それらの現場を目の当たりにし、初めてその重要性を肌で感じることができた。
視察中、何度も耳にした言葉がある。「対話し、理解する姿勢が大切だ」。この言葉の意味が、重みが、6日間の視察を経てようやく理解できた。国連本部での会議では加盟国の大使が一堂に集い、国際社会の未来について、人々の平和のために主張をぶつけ合っている。全加盟国が平等に、一票の責任を持つ。そこはまさに「対等な対話による理解」を体現している場だった。
強く脳裏に刻まれた質疑応答のワンシーンがある。米国代表部で、僕は権威主義国家に対しての二大政党制による政策志向の変遷の弊害について質問した。とても重厚な回答を頂いたが、最後の結びの言葉が特に印象深い。「困難はあるが、政権交代によって我々は新たな価値観を学ぶ。政策転換を正確に国際社会に伝え、学び続ける我々がいるから、平和は保たれる。」と。彼らは今日も理解を諦めず、時代のうねりに立ち向かっていた。その誇り高い姿勢と考え方に、強く感銘を受けた。
この世界は理解できないことだらけだ。だからこそ多様性を尊重し、理解を諦めない姿勢を貫くことが重要なのだと、今回の視察を通じて学ぶことができた。今享受している平和が、多くの人々の凄まじい努力によって成り立っていることを、より深く、理解した。
これからも僕はこの世界で理解することを諦めない。視察の経験を活かし、国際社会のあらゆる問題から目を背けず、未来を見据えて、学び続ける。
最後に、素晴らしい体験と学びの数々を提供してくださった皆様、そして長い旅路を共にした仲間達へ、心からの感謝を伝えたい。本当に有難うございました。
奥・井ノ上記念日本青少年国連訪問団に参加して
新潟県立新潟高等学校 高橋 くらら
私にとって初めてのニューヨーク。高鳴る期待と裏腹に、言葉の壁や人種差別、治安の問題など、不安も抱えていた。しかし、先だって行われた外務省での研修を通じて得た経験が、ニューヨークでの心の支えとなった。特に、国連の役割について学び、国際社会での重要性とともに、日本での信頼低下という現状についても知ることができた。また、海外での生活経験の大切さを実感し、私は「バイカルチャー」を目指していたものの、最終的には「自然体で文化を受け入れること」が重要だと学んだ。この研修を通じて、ニューヨークの国連本部を訪れる意味がより深く理解できた。
ニューヨークでの最も印象的な経験は、グラウンドゼロを訪れたこと。9/11 メモリアル・ミュージアムで当時の生々しい音声や映像を見たとき、言葉を失った。あの場所で何が起きたのかを目の当たりにすることで、現場の混乱や悲劇的な出来事がどれほどの影響を与えたのか、改めて痛感した。そこには、人々の恐怖や絶望だけでなく、同時に命を懸けて救助活動を行った勇敢な人々の姿があった。その勇気と犠牲に深く感動し、胸が熱くなった。何よりも、あの悲劇の場所が今では完全に整備され、観光地として多くの人々が集まる場所となったことに強い印象を受けた。それは、まさに「不屈の精神」の象徴であり、悲しみや絶望を乗り越えた人々の強さを感じることができた。あの場所が今でも生き続け、後世にその教訓を伝えていることに、大きな感銘を受けた。
また、国連の職員の方々との昼食懇談では、彼らがどのようにして自分の専門性や関心を活かして働いているのかを知り、その情熱に触れることができた。国連での仕事は決して安定しているわけではなく、時には困難な状況下でも自分の信念に基づいて仕事をしている姿は、私に大きな刺激を与えてくれた。彼らの情熱と献身に触れることで、国際的な問題に取り組む重要性を再認識した。
この研修を通じて学んだことは、単なる知識にとどまらず、人々の強さや絆、そして国際社会における貢献の重要性を深く理解することができたという点だ。特に、911 の悲劇を乗り越えたニューヨークの街のように、困難を乗り越えて未来に希望を持ち続ける力を持っていることを実感した。今後、私はこれらの経験を活かし、外交や国際問題に関わる場面で、少しでも多くの人々のために貢献できるよう努力していきたいと強く感じている。
そして、最初に感じていた不安は、ニューヨークでの経験を通じて払拭された。現地の人々は予想以上に気さくに話しかけてくれ、言葉の壁を感じることなく過ごすことができた。特に、同行してくれた仲間たちや、現地でサポートしてくださった方々のおかげで、安心して研修に集中でき、ニューヨークという街を心から楽しむことができた。言葉の壁や文化の違いを越えて、互いに理解し合い、支え合うことの大切さを改めて感じた。
奥・井ノ上記念日本青少年国連訪問団に参加して
さいたま市立岸中学校 藤本 絢銘
今回の視察は非常に有意義な機会となった。
訪問した UNIC では、意見や文書をまとめることだけでなく、実行することが重要であること、外務省では、国際社会では発言をしなければ存在しないのと同等であること、また他国政府代表部では、意見を言うこと、話を聞くことが大切であると教わった。三つの機関で言われた、言葉にすることと実行に移すこと。大切であるにもかかわらず日本人に欠けている力なのではないか。
心に残った絵がある。国連職員が毎日必ず目にする壁画だ。壁画「戦争 GUERRE」と「平和 PAIX」は向き合って設置されていて、職員は本部に入る時に「戦争」を、帰る時は「平和」を見る。戦争を解決するために国連へ向かい、平和を勝ち取って帰ってくることを意味する。説明を聞いたとき、国連職員は自分の手で戦争を解決しに行き、平和を勝ち取ったことを、この絵を見る度に実感するにちがいないと思った。達成感のある仕事だと思った。では、国連職員が戦争を平和に導くための武器は何か。言語力と行動力だろう。未来を担う私たちは、言語力と行動力を高めていく必要がある。
次に UNICEF について述べることにする。学校で UNICEF募金を行ったので、視察で UNICEF に訪問できたことも嬉しかった。UNICEF は女性や子供の権利を守るための機関であり、日本政府から 169億円、日本UNICEF協会から 266億円を支援されている。UNICEF が日本で浸透している証である。しかし、日本ほど浸透していない国もある。UNICEF は支援が必要だと思っていても、その国の政府が必要ではないと判断したら、支援できないことがある。もどかしい気持ちになった。言語力と行動力がある国連の機関であっても、解決できない課題がある。この場合の解決には民間人同士の会話や協力を促す必要があるのだろう。
最後に、9・11 メモリアルの話をしようと思う。グラウンドゼロの噴水の周りに犠牲者の名前が刻まれた大理石がある。白いバラが飾られた名前の近くで写真を撮る人たちがいた。花が飾られている人はその日が誕生日だという。テロがなければ祝えた誕生日なのに、と悲しくなった。同時に、9・11 は本当に起きたことなのだと実感した。9・11以降、国・宗教間の歪みは深くなった。だが、敵対していても同じ目標に向かって協力することで友好関係を築ける、という調査結果がある。言語力と行動力、そして草の根レベルでの会話と協力で共通の目標に向かって歩めば、武力や暴力を防げるかもしれないと視察を通じて思った。
奥・井ノ上記念日本青少年国連訪問団に参加して
島根大学教育学部附属義務教育学校 片岡 睦深
奥・井ノ上記念青少年国連視察派遣の一員として、国連本部や政府機関、スタイブサント高校、グラウンドゼロなどを訪問させていただきました。貴重なお話や経験の数々から、作文で訴えた日本のお互い様の精神を世界に広げていきたいという思いを深めることができました。
NY の街はきらびやかな反面、多くのホームレスの方たちがいました。彼らに手を差し伸べることは難しく、戸惑うだけの自分にもやもやしました。
国連や政府機関では、SDGs の重要性について伺いました。国を越えて働く方たちのお話から、誰一人取り残さないためには色々な視点から世界を学ぶ必要があると知りました。お互い様の精神を広げるのも同様で、まず私自身が相手を知ることが大切なのだと思います。NY のホームレスの方たちに、ただ助けたいと手を差し伸べるのではなく、なぜ困っているのか知ることが本当の助けに繋がるのだと気づきました。
スタイブサント高校では日本語を学んでいる学生さんたちと交流させていただきました。学生さんは日本語、私は英語を使って交流することになり緊張しましたが、学生さんが日本語で優しく声をかけてくれたのでほっとしました。会話は互いの国のことや好きなことなど様々でした。穏やかな交流の中で、相手のことを知りたいと思う気持ちや、思いやる気持ちがあれば、国が違ってもお互い様の関係は築けるのだと感じました。
その後訪れたグラウンドゼロでは、アメリカも日本と同様に大きな傷跡を抱えた国だと知りました。経済大国や自由の国という印象を抱いていましたが、国を知るには色々な側面から見つめる必要があるのだと気づきました。
今回の活動で、自分の視野がまだまだ狭いことに気づきました。机の上で学べることもありますが、直接訪れてお話を聞くことで新たな学びや発見があることも知りました。私は 4月から高校生です。高校では、他国の人の視点を知るために世界で起きている問題にもさらに理解を深めたいです。それが今、私ができるお互い様の精神を世界に広めるための一歩だと思うからです。活動を通じて学んだこと、出会った方たちのお陰で、お互い様の精神を世界に広げるための糸口が見つかった気がします。
訪問団のみんなや添乗員さん、国連や政府職員の方々、スタイブサント高校の皆さん、出会えた全ての方々に感謝の気持ちでいっぱいです。貴重な経験を、学びを、思い出を、本当にありがとうございました。
奥・井ノ上記念日本青少年国連訪問団に参加して
渋谷教育学園幕張中学校 伊藤 華玲
生まれて初めての米国東海岸、そして、憧れの大都会ニューヨーク。滅多に訪問できない機関の数々を、個性的で尊敬できる仲間たちと訪問し、見聞きする全てに感動を覚えた。渡米前から最終日までみっちりと充実した、忘れられない 4日半となった。
今回の国連派遣を経て、私はまず、もっと国際問題や情勢について知りたいと強く感じた。そして、更にそれらについて独自の疑問を持つことの重要性に気づいた。最も印象に残ったのは、多国籍政府本部(アメリカ政府)への訪問だ。大使は常に笑顔で、どのような質問にも答えてくれた。私たちは、関税問題やトランプ政権について等、様々な疑問をぶつけた。これまでニュースのトピックでしかなかった出来事に、実際に携わっている方に会えて感激すると同時に、もっと知識があれば、より高度な話ができたのにと惜しくなった。今までの私にとって、多くの社会問題は、現代人として必要な知識に過ぎなかった。ミャンマーの児童労働問題等、自分が実際に見聞きしたこと以外は、表面的に「知っている」だけだった。訪問先で「何でも質問してください」と言われる度に、すぐに思い付かない自分に気付いた。ただ知るだけではなく、自分のこととして考え、疑問を持つこと、そして自分なりにその疑問を解決すること。そうして初めて、情報は自分のものになるのだと痛感した。多くの疑問を持ち、それを社会に向けて問い、訴えていくことで、私たちの社会をより良いものとしたい。その問いや訴えがすぐには実を結ばなくとも、自分で考え培った知識を将来に向けて、蓄えていきたい。今回の研修で、自分がいま、社会をより良くするためにできることが、少し明確になった気がした。
研修のもう一つの収穫は、外務省や国連機関等の仕事が、身近に感じられるようになったことだ。特に国連職員の方々との昼食会では、帰国子女でカナダの大学を出てから国連事務局に勤めていらっしゃる方や、私が以前住んでいたミャンマーで NPO活動に参加されていた方等、自分と共通点のある方々とお話しできた。仕事のやりがいや内容、国連本部に勤めるまでの過程等、率直に教えて下さり、国連職員という存在が一気に鮮明になった。15歳になったばかりの私には、まだ将来や進路について定まっていないことが多いが、今回の研修を経て、国際機関での仕事という選択肢にも強く惹かれた。
この 4月から、私は高校生になる。少しずつ社会に与えられる影響も増え、自分の暮らす世界について知ることが、より重要となってきた。この春、初めての地ニューヨークで得た学びを無駄にせず、これからは今までと違った意識で、自分なりに一生懸命、世界と向き合っていきたい。
奥・井ノ上記念日本青少年国連訪問団に参加して
山形大学附属中学校 鈴木 慶雅
奥・井上記念国連訪問団の一員として、まず私たちは渡米前に東京の国連広報センターと外務省を訪問した。国連広報センターでは所長から、創設80年を迎える国連が現在大きな岐路に立たされていること、多国間主義の再活性化には加盟国の結束が不可欠であることなどを伺い、活発な意見交換が行われた。また、国連の情報発信の重要性や、私たちが現地で見聞きしたことを帰国後に広く伝えてほしいという期待も寄せられた。外務省では、日本の外交政策や、国連をはじめとする多国間の枠組みで日本が果たしている役割について学び、国際社会における日本の立場を具体的に理解することができた。 その後、アメリカに渡り、国連職員の方々との交流等を行った。実際に国連の職員や各機関の担当者から直接実際の体験や考えを聞くことで、平和、安全保障、人権、気候変動といったグローバルな課題に対して国連がどのように取り組んでいるかを肌で感じることができた。システムとしての国連だけでなく、現場で働く人々の思いや努力にも触れ、国連の理念への理解が一層深まった。また、アメリカ政府代表部の訪問では、米国の外交官から国際連携や現在の国際状況におけるアメリカの姿勢についての話を伺い、現実の国際政治の複雑さと、利害の調整の中で世界が形作られていく様子を知ることができた。さらに、現地の高校の生徒たちとの交流も貴重な経験となった。年齢は近いながらも異なる文化や価値観を持つ仲間たちと率直に話す中で、多様性を尊重する姿勢や、異なる視点を受け入れる柔軟さの大切さを改めて実感した。このように、渡米前の事前研修から現地での訪問、交流に至るまで、一連の体験を通して、国際社会の現状を深く理解し、自分自身が将来どう関わっていけるのかを真剣に考えるきっかけとなった。今後はこの経験を周囲に伝え、国際理解の架け橋となるよう努めたい。
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