第54回 国際理解・国際協力のための全国中学生作文コンテスト 入賞作品紹介
東日本大震災の経験を踏まえ、日本が国連で果たすべき役割
- 防災・減災教育の開発を -
外務大臣賞
広島県 盈進中学校 3年 髙橋 和
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」(日本国憲法前文)私の胸に深く刻まれた一文だ。
巨大な地震、津波。想像だにできなかった東日本大震災。あれから3年以上が経過した。
私は、学校の部活動を通して昨夏、先輩方と一緒に被災地を訪れ、津波被害の現状を目の当たりにした。そして、先輩方の代からつながっている宮城県岩沼市の仮説住宅に暮らす、津波で最愛の夫を失ったEさんの声を聞く機会を得た。「夢でもいいから会いたい。」話し込むうちに大粒の涙がEさんの頬を伝う。
Eさんからこんな話もうかがった。「私は沿岸部の気仙沼、夫は山形県の内陸部の出身。私は学校で『地震の次は津波。津波は人も町も飲み込んでしまう。だからとにかく高台に逃げるんだ』と教わっていました。でも夫はそんな教育は受けていなかったのでしょう。だから逃げ遅れて津波に命を奪われたのです。教育が生死を分けました。もう私のような辛い思いは誰にもしてほしくはありません。」
私は、人類初の被爆地、広島に生まれ育った者としての使命感を感じ、中学1年生から核兵器廃絶の署名活動に参加している。そして被爆者の方々に出会い、彼らが伝え続けてきたこの言葉を行動指針にすえてきた。「もう誰にも自分と同じ思いをさせてはならない。」憎しみと敵対を超えた素朴で崇高な平和構築の信念。Eさんと被爆者の方々が重なった。
日本が国連で果たすべき役割。それは、防災・減災の教育プログラムを開発すること。いつどこで起こるかわからない災害から命と暮らしを守るため、被災者の声に耳を傾け、教育として生かすこと。日本が中心となって、甚大な被災経験のある他国と手を取り合い、そのプログラムを開発し、各国の教育システムに組み込むようにすべきだと、私は考える。
それは、「大切なのは何よりも命」という教育だ。現在も続く宗教対立や国家間紛争の解決策としても有効ではないかと、私は思う。
私の先輩の一人は、高校時代の被災者支援活動の経験から、大学で防災学を学び、被災地を含む全国各地で、ユニークなダンスや歌などで工夫を凝らし、子どもたちを対象とした防災教育を行っている。先輩は言う。「できるだけ低年齢から、命の大切さを感覚的に学ぶことが大切。」そんな日本のノウハウも生かしたプログラムは、開発可能だと思う。
8月20日、私の暮らす広島で大規模土砂災害が発生。惨状に言葉を失った。
私たちはいつ、大災害に遭遇するかわからない。だが、生きなければならない。だから、日本だけでなく、世界中の子どもたちに防災・減災の教育を授ける必要がある。子どもは地球の宝なのだ。だから、国連という世界共通の機関を通じて、それを実施すべきだ。
しかし、教育を受ける権利さえ奪われている国があることも忘れてはならない。教育の重要性を訴え、私と同じ年で銃撃されたマララ・ユスフザイさん。彼女が暮らすパキスタンの識字率は約60%。学校にすら行けない子どもたちが世界には大勢いる。貧困という負の連鎖は、教育が不十分な現実がある限り、断ち切ることができない。貧困が暴力を生み、暴力が貧困を再生産する。マララさんの国連での訴えは、私の考えと合致するはずだ。
教育を展開するには、まず、学校教育を受けられる環境を保障することが大切となる。そのためには、ODAなどの国際援助もますます重要になってくるに違いない。
「あれから3年。私たちにとってはもう3年ではなく『まだ3年』です。」2014年3月に届いたEさんからの手紙にはそう記してあった。
被災者の存在と思いを忘れず、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」ためにも、被爆国・被災国日本の国連での役割は大きい。
もしも私が国連事務総長なら、国連で何をすべきか
文部科学大臣賞
神奈川県 平塚市立土沢中学校 3年 和田 みゆな
「学校は“行って当たり前”のところではない。」「行くには理由があって、自分を満たすために行く、自分のためと刻み込んで行くべきだ。」「学校はやることはいっぱいあって、真剣にやらないといけないことだらけだと思う。未来がいいものになるなら苦じゃない。」 これらの言葉は、猛獣だらけのサバンナの中を15キロメートルも小走りで毎日通学している、パイロットを夢見る13歳の少年が、日本のインタビュアーの「日本の子供たちは、学校が嫌いな子が多い。どうしたらいいと思うか。」という問いに対してのものである。
私がこの少年の言葉を知ったとき、とても13歳の言葉とは思えず、ただただ驚嘆した。
この少年は学校に通うことができているが、世界には学校に通えない子供が、6千100万人いる。その理由には、学校までの道のりが、遠く険しく命懸けの危険な道だったり、家計を助けるため仕事をしなければならなかったり、貧困、文化や風習、先生や学習道具の不足、そして戦争などがある。しかし、その子供たちは一様にして、通いたくても通えないのである。
私は毎日、ごく当たり前に学校に行き、ごく当たり前に学校で学んでいる。しかし、私たちの中には、勉強することができるこの恵まれた環境を嫌っている人もいる。嫌がる理由は様々だろうが、このような事実を知らないから、ということもあるだろう。実際に私もその一人だ。
もしも私が国連職員だったら。
まずは、『知る』という一歩から踏み出し、一人でも多くの人にこの現状を知ってもらう活動をしたい。知らなければ、何も始まらない。一番に頭に浮かんだのは、学校の授業で取り上げてもらうことだ。小学校のうちから世界の現状を知る機会を設け、学校を通して、国連の情報を広げる。映像で目や耳から情報を発信したり、できる事なら現地に赴き、実際に現状を肌で感じたり、又、現地の子供たちが、実際に声を届ける機会を設けたい。国連職員として学校を訪問し、活動内容や世界の現状を生徒たちに届け広めたい。
『国連』と言うと、なんだか堅苦しい、どこか無縁な遠い存在のような気がするが、学校に訪問し、話をすることで、世界の様々な問題を身近に感じることができ、小さいうちから「自分に何ができるか」を考え、世界に目を向ける良い機会になると思う。また、世界の恵まれた環境下にある中学生全員がこの国際理解・国際協力のための作文を書くことを勧める。まだまだ、世界の状況について知識がない中学生はいると思う。実際、私もこの作文を書く機会があったからこそ、世界では今何が起きているのか、私たちが意識しなければならないことは何なのかを、初めて真剣に考えることができた。
そして、『学び』である。人が平和に生きていくためには、やはり『学び』はより重要なものである。子供たちは勿論、親、大人も勉強することができる環境づくりを提案したい。労働などで勉強なんて暇はないかもしれない。けれども、学校に通うことができない子供たちの親は、教育を充分に受けられていない場合が多い。単純な考えかもしれないが、親が教育を受けることができれば、望む職に就くことができるかもしれない、貧困から抜け出すこともできるかもしれない。そして、子供たちも学校に通わせることができる。豊かな生活を送ることができる。不満がなくなり、争いごとも減る。平和な人生が送れる。実に単純な構図だが、この構図が私の頭を駆け巡る。
この構図が、恵まれない環境下の人々の現実となるよう願わずにはいられない。私は、常に世界情勢にアンテナをはり、世界平和について様々な角度から考えてみようと改めて認識した。
もしも私が国連事務総長なら、国連で何をすべきか
公益社団法人 日本ユネスコ協会連盟会長賞
長野県 長野県屋代高等学校附属中学校 1年 荒井 千尋
『ペンは剣よりも強し』
この言葉は、マララ・ユスフザイさんの国連でのスピーチの中で使われた諺だ。私は、ニュースでマララさんが、国連でスピーチしたことを知った。当時小学六年生で、やっと日本の政治や経済について学び始めたばかりの私にとって、国際組織である国連で、自分に近い年齢の少女が全世界に向け、自分の意見を堂々と発信している姿を見て愕然とした。そして、もっとマララさんについて知りたくなり、彼女の著書を読んだ。著書を読んで、彼女の考えや思いに共感することがたくさんあった。しかし、国連でのスピーチで『事務総長殿、教育には平和が必要です。』と述べていることに対しては、もうひとつの考えとして、「平和には教育が必要。」という考えもあるのではないかと私は思った。そこで、もしも私が国連事務総長になったら、この考えを基にした活動をしたいと考え、国連でなすべきことについて考えた。
私が「平和には教育が必要だ。」と考える理由は、言葉による対話が成り立てば、暴力や武力に頼らず問題を解決でき、平和な世界になるのではないかと考えるからである。言葉による対話をするためには、教育が不可欠である。これについては、すでにユネスコやユニセフを中心とした国際機関が取り組んでいる。しかし、世界のあちこちで紛争、内戦、飢餓、貧困などのために教育を受けられない子供達がいる。そこで、私は「平和には教育が必要。」の考えを基に、『フレンズプロジェクト』を実行する。このプロジェクトは、姉妹都市のように姉妹学校を設け、子供同士の交流を図りながら、教育の良さや大切さへの理解を小さな頃から学ぶ。また、交流を深める中でお互いの理解を深め合い、お互いに対話を重ねながら助け合いの関係を築く。さらに、各国の教育の実態を子供達が知ることで未来の教育の担い手の育成につながっていったら素晴らしいと思う。
プロジェクトの具体的なよさについて、わたしの経験から考えてみた。私の住む長野県では過去に冬季オリンピックが開催された。この時、長野市では、「一校一国運動」を称し、一つの学校が一つの国と交流する活動が行われた。私の母校では、オリンピック後の今もギリシャとの交流が十数年以上続いている。この交流をきっかけに、私にとって見知らぬ国であったギリシャが身近な国になり、他の国への興味もわいてきた。交流をする時には、国歌を覚えたり、ギリシャについて調べたりした。交流するには、読み書きができることが必要だった。そして、子供同士が交流するためには、まず読み書きができなくてはならない。また、世界を知るためには本が必要だ。そこで、この活動を子供達にさせてあげるためには、全世界の大人たちが子供たちに教育を受けさせてあげることができる環境づくりをしなければならない。私は、教育環境が整わない国で、自ら『フレンズプロジェクト』に参加し、その現状と必要性を全世界に発信したい。同時に、参加した子供たちの声と笑顔も全世界に届けたい。『フレンズプロジェクト』に関わるすべて、全世界の人々すべてが、「平和には教育が必要」を合言葉に平和な未来を創り上げる子供たちのため、自分ができる活動に力を注いでほしい。私は、合言葉を自らの行動で示せるよう、常に意識して行動していきたい。
私が国連事務総長になったら、日本人初であり女性初でもある。私は、今まで男女の不平等や教育を受けられない苦労を感じたことがない。それは、様々な困難を克服して日本をよい国にしようと努力してきた人々のおかげだ。その努力のプロセスを貧困などで苦しむ国で活かすことができるかもしれない。日本のよさも、世界平和に活かしたい。
もしも私が国連事務総長なら、国連で何をすべきか
公益財団法人 日本国際連合協会会長賞
東京都 東京韓国学校 3年 金 聖礼
世界70億人のすべての人が平和で幸せに暮らせる。これは理想なのでしょうか。私は多くの人が貧困、飢餓、戦争から解放され幸せになるべきだと思います。
将来に大きな夢を抱いて希望に満ちている子供たち、夢はあっても貧困や戦争など苦しい環境で満足に学ぶことすら出来ない子供たちなど、育った環境や境遇により様々な子供たちがいます。それでも皆私と同じような中学生や幼い子供たちです。守られるべき人々です。
もしも私が国連事務総長なら何よりも先に「人権問題」に取り組みたいと思います。
人権は人が人らしく生きるために全ての人に与えられた権利であるはずなのに、幼い頃から働かされている児童労働者や国籍や人種を理由に差別を受けている人、女性だというだけで学ぶ機会すら奪われている人やマイノリティーの人たちなど私たちの身の回りには深刻な人権問題が数多くあります。今日もニュースにはこのような多くの人権に関わる映像が流れています。私がこの問題に多くの関心を持つのも、私にとって常に身近にあったからです。
私は日本で生まれ育った在日韓国人三世です。私にとっては日本も韓国もとても大事な国です。両国の懸け橋になる事に役立てるなら積極的に取り組みたいと思っています。
昨年の秋、私は東京新大久保で開催されたお祭りに参加しました。部活で行っている韓国舞踊を披露するためでした。しかし内心はとても複雑でした。その頃はちょうど同じ場所でヘイトスピーチが毎週のように行われていたからです。同じ場所で伝統衣装を着て踊ることに少しの緊張もありました。パレードが始まるまで緊張は続きました。一緒に踊る先輩や友人たちも同じ気持ちでした。それでもそんな時こそ勇気を持って行動することがきっと大切なことだと思いました。しかしそんな緊張もパレードが進むのと同時に安心感と喜びに変わっていきました。沿道の多くの方が暖かい声援と拍手を送って下さり、中にはわざわざ韓国語で声援を送って下さる方もいました。踊っている私たちも沿道の方々も皆笑顔でつながっていました。声援と拍手と笑顔にどんなに勇気付けられた事でしょう。そこには国籍や国境の壁は全くありませんでした。
私には韓国人の友人も多くいますが、日本人の友人もいます。皆大切な友人です。国籍や言葉が違っても理解しあえる宝物です。
「違う」ことは決してマイナスではないと思います。「違う」を排除するのではなく受け入れる。相手を尊重して歩み寄る。歩み寄って理解する。とても素晴らしいことだと思います。残念ながら国家レベルでは政治的な問題を抱えていますが地球上の人間レベルでは同じだと思います。
国連の人種差別撤廃委員会も人種や民族に対する差別をおあるヘイトスピーチを行った個人や団体に適切な措置をとることを要請しています。これ以上傷つく人が出ないためにも人々の人権は世界のあらゆる所で守られなければなりません。
私は今、国連職員として人々の人権を守るために働くという夢の実現のために語学勉強に力を注いでいます。学校で習う韓国語、日本語、英語に加え国連の公用語でもあるフランス語も勉強しています。世界中で多くの人の言葉に耳を傾け、私自身の言葉で伝えたいです。
世界中の人々が地球上で「平和」というおいしい空気を思い切り吸う日が来るよう、今日も夢に向かって努力しようと思います。
私の夢に国境はありません。