第53回 国際理解・国際協力のための全国中学生作文コンテスト 入賞作品紹介

受賞者/題目
外務大臣賞 静岡市立東豊田中学校 青島 繭さん
「アフリカの貧困をなくすために,日本と国連が
アフリカの子供達のためにできること」
文部科学大臣賞 近江兄弟社中学校 井上 結さん
「アフリカの貧困をなくすために,日本と国連が
アフリカの子供達のためにできること」
公益社団法人
日本ユネスコ協会連盟会長賞
宮城県仙台二華中学校 鈴木 美紀さん
「もしも私が国連事務総長なら」
公益財団法人
日本国際連合協会会長賞
下関市立菊川中学校 坂倉 杏香さん
「アフリカの貧困をなくすために,日本と国連が
アフリカの子供達のためにできること」
公益財団法人
安達峰一郎記念財団賞
福島県郡山市立緑ヶ丘中学校 井上 彩華さん
「もしも私が国連事務総長なら」
日本放送協会会長賞 滝学園滝中学校 伊藤 正子さん
「もしも私が国連事務総長なら」
国際連合広報センター賞 旭陵中学校 日置 奈緒さん
「アフリカの貧困をなくすために,日本と国連が
アフリカの子供達のためにできること」
金賞 室蘭市立星蘭中学校 高橋 理佳さん
「もしも私が国連事務総長なら」
柏市立西原中学校 伊沢 勇作さん
「現在の国連における日本の地位は?今後日本はどうすべきか」
青山学院中等部 市岡 望玖さん
「現在の国連における日本の地位は?今後日本はどうすべきか」
銀賞 若葉中学校 鵜飼 7さん
「もしも私が国連事務総長なら」
秋田県大仙市立平和中学校 鈴木 理彩さん
「もしも私が国連事務総長なら」
福島大学附属中学校 佐藤 宏樹さん
「アフリカの貧困をなくすために,日本と国連が
アフリカの子供達のためにできること」
佳作 佐賀清和中学校 遠藤 理緒さん
「アフリカの貧困をなくすために,日本と国連が
アフリカの子供達のためにできること」
東谷山中学校 脇田 みなみさん
「現在の国連における日本の地位は? 今後日本はどうすべきか」
福岡市立原北中学校 本木 妙果さん
「アフリカの貧困をなくすために,日本と国連が
アフリカの子供達のためにできること」
盈進中学校 芳賀 友美さん
「アフリカの貧困をなくすために,日本と国連が
アフリカの子供達のためにできること」
石川県立金沢錦丘中学校 三上 いな穂さん
「アフリカの貧困をなくすために,日本と国連が
アフリカの子供達のためにできること」

アフリカの貧困をなくすために、日本と国連がアフリカの子供達のためにできること
「知る」ことからはじめる

外務大臣賞
静岡県 静岡市立東豊田中学校 3年 青島 繭

地理でアフリカのことを学んだとき、その不思議な地図に思わず目が止まった。まるで定規で引いたような国境があった。先生の説明を聞いて更に驚いた。それは列強による植民地支配を受け、経線緯線を元に一方的に定められた国境線なのだ。そこに住んでいる人々の長年の暮らしや文化、心情を、その無機的な直線は切り刻んだのだと思う。私は、このように列強がアフリカの各民族や部族に強制的に立ち入ったことが、現在のアフリカの混乱に少なからず影響をしていると思う。また、現在の人々を悩ませる砂漠化の進行も、先進国らを中心とした大量の石油消費による温暖化が大きな原因の一つではないだろうか。各国それぞれ問題を抱えていて、日本も震災復興をはじめとし、国家も個人も決して余裕がある状態ではない。けれど私たちは、今述べた意味合いにおいて、責任をとるということも含めてアフリカ問題に向き合うべきだと、まずそのことを感じた。

ところで、我家はわずかではあるが国連UNHCRに毎月募金をしている。そこから届くニュースレターには、こんなことが書いてあった。「難民の人々は『何か』が足りないのではなく『すべて』が足りない」と。一日に何百人、何千人という難民が次々と国を追われ、『すべて』が足りないままただひたすらに生きているという事実を改めて知った。

そして私は、『すべて』があるにも関わらず、まだ足りない物を求めながら生きている。同じ地球人としてのそのギャップを、今更ながら思い知った。

私はたまたま家にニュースレターが届くので、これらの情報を得ることができるが、そうでない中学生は難民や彼らを支える活動について、詳しく知るきっかけがない。今は情報社会と言われ、パソコンがケータイで一瞬にして世界とつながることができるはずなのに、結局は自分に興味が無い限り、アフリカの貧困についてアクセスすることはない。私は一人でも多くの人が興味を持ち、つながるきっかけが、とにかく今必要だと思った。

今日本がアフリカの人々にできることは、まず基本的なことだが、多くの人がアフリカの現状について知ることだと思う。そして、なぜこうなったのかという経緯や、彼らを支えている人々の活動を知ることで、多くの募金や人材、新しいアイデアが集まってくると思う。

具体的な方法を考え、まず私が思いついたのは、テレビのCMで頻繁にこれらの情報を流すことだ。現在多くの人がテレビを見ているので、何度かCMを見て心を動かされる人もいると思う。しかし、CMを作るための費用があれば少しでも多くの人を救いたい。インターネットには難民について多くの情報があるが、アクセスしなければつながることができない。そこで私が考えたのは、学校を通して国連からの情報を生徒に届けることだ。そうすれば、多額の資本をかけずに多くの人に情報が渡る。例えば、パソコンから国連のアフリカに関する情報を取り出し印刷して、生徒達に配布する。それを英語や社会や道徳で使っても良いし、家庭で話し合うきっかけにしても良いと思う。これらのことを、1回きりではなく定期的に行っていくことで、多くの人がアフリカについてつながるきっかけをつかめると思う。

誰もがそれぞれの生活で手いっぱいだと思うが、アフリカで今起きていることは、自分達に関係の無い、遠い話ではないと思う。それは環境問題や過去の歴史においての責任があり、またそうでないとしても、同じ地球人としてアフリカの問題に向き合っていくべきだと思う。そして、手を差しのべるのではなく、一緒に歩んでいく、というような思いで行動していける日本でありたい。

アフリカの貧困をなくすために、日本と国連がアフリカの子供達のためにできること

文部科学大臣賞
滋賀県 近江兄弟社中学校 3年 井上結

私は今、ある新聞の特集に興味を持っている。その記事とは毎日一人ずつ様々な職種の人たちを紹介していくというものだ。対象は「今を輝いて生きている人」。どの人も夢に向かって奔走している姿が書かれている。

その中で一番、私の目を引いたのが海外支援をしている人たちだった。ある人は貧困にあえぐ人たちを支援しようと洋裁学校を開設し、ある人は難民のために移住場所をさがしている。その人たちは皆、「見ていてかわいそうだから。」という理由で活動しているのではなく、自立してほしいと心の底から願っているように私には感じられた。

今までの私は世界のどこかでそういう現状があるということを知っていながら、見て見ぬ振りを無意識のうちにしていたように思う。それは心のどこかで他人事のように受けとめていたからだ。そのことに気づいた今、新聞記事の人たちのように、自分のできることをさがさなければいけない。

そして、考えに考えた結果、もし私が国連に関わることができたら、やっぱり自分の好きな場所から世界支援をしていこうと考えた。それは図書館だ。小さな頃から本を読むことが好きな私は今までにたくさんの本を読んできた。どの本もどきどきするものばかりで時には一日で一気に読んでしまうことも度々だ。その本たちで世界中の人々と感動を共有することができたら、それはとてもうれしいことだと思う。

そう考えながらインターネットを使っていると「南アフリカで移動図書館」というホームページを見つけた。その人たちは「初等教育の質を高めること」を目的に活動している。各学校を巡回し、本を届けてその地方の子どもだけではなく、子どもたちを教える大人たちにも知識を与えていっているのだという。その瞬間、私はぜひこの活動に参加したいと思った。そして、もし私がこの活動に加わることができたのなら、南アフリカ以外のアフリカの地域にも移動図書館車を走らせたい。また、活動の延長として図書館に隣接させる形で語学学校を建設したいと思う。今の南アフリカの活動では、子どもたちは学校で文字を習っているので、ある程度は読むことができる。だから本の楽しみを理解することもできるのだ。しかし、現状として今でもアフリカの人々の識字率はまだ低い。私はそういうまだ読むことができない人々にも本の楽しさが伝わってほしいと思う。

だから、まず私のプロジェクトは村々を移動図書館車で巡回し、一冊ずつ子どもたちに絵本を貸す。字が読めないうちは絵をながめてイメージすることしかできないかもしれないが、一字一字を習っていくなかで私たちが味わっている読書をする楽しさを知ってもらいたいと思う。そして、多くの本に触れてほしい。それが未来のアフリカの知識となって役立っていくことになる。

そうやって始めは日本がアフリカの目線に合わせて歩んでいかなくてはいけない。しかし、将来はアフリカの国々に心の豊かなリーダーが生まれ、私たちと同じ背たけで話し合いができるようになっていると思う。その時には両国を尊重し合いながら仲を深めていってほしい。

最後に今の私にできることは小さなことかもしれない。遠い国の人たちのことを思い、考えることもそうだし、本を使って今の知識をより豊かにしていくことも一つだ。その今、身につけることのできる正しい知識と自分なりの考えをもっと育んでいくことが今の私にとって最も重要だとこの機会に再認識した。だから、私はこれからも世界の人々が同じ目線の高さでつながり合う方法を自分なりに模索し続けたい。

「もしも私が国連職員なら」

公益社団法人 日本ユネスコ協会連盟会長賞
宮城県 仙台二華中学校 3年 鈴木 美紀

東日本大震災以来、星を見て物思いにふけることが多くなった。あの日、空腹と寒さに耐えながら見上げた空。星だけが明るく輝いていた。ふと、この同じ空にいる世界の人々は何をしているのだろう、と思った。満腹な人もいれば、満足な食料もなく細々と命をつないでいる人もいる。この地球上の同じ空の下に生きているのに、同じではないのだ。

私は震災がきっかけで、見て見ぬ振りをしていた「世界」について心を寄せるようになった。私たち被災者は、世界中の実に多くの人に助けられた。そのお礼になればと、私は家族と「学校給食プログラム」「アフリカの角・地域への緊急支援」などへの寄付を続けている。

送られてくるニュースレターで近況は知らされているが、人々の生活がよくなったとの報告は受けていない。

そのような事実を踏まえ、もしも私が国連事務総長ならしたいこと。それは、世界からハラペコを無くすことだ。今もなお、八人に一人が飢えで苦しんでいる現実。現に、私もワンガリ・マータイさんの言う「もったいない」ことをしているので、心が痛い。

私は、この震災で「食べることは生きること」を実感した。しかも、「食べる」は身体を満たすだけではなく、精神をも満たすのだ。そのような体験から、私は飢餓とは以下のような負の連鎖を生むと結論付けた。

  1. (1) 子どもは食料を得るために働きに出るので、教育を受ける機会自体を奪われる。
  2. (2) 学校に通えても、空腹の状態では教育の質そのものが落ちる。
  3. (3) 栄養不足から病気への抵抗力が弱く、薬を買うお金もないので完治せず、長引く。
  4. (4) 貧困は親から子、子から孫へと受け継がれていく。
  5. (5) 食への不満は社会への不信感となり、争いや戦争につながることもある。

ここで、大胆な提案。国連本部をアフリカの最も貧しい国に移してはどうか。飢餓問題が深刻なのは主にアフリカで、より直接的な支えが必要だと思うからだ。豊かな自然と資源を持つアフリカが、国連の積極的な働きかけによって飢餓から脱却。五十四の国の十億人が心身ともに潤えば、世界平和への架け橋になるのではないだろうか。

と、国連本部を移す云々は抜きにして、世界の知識と技術を飢餓の最前線に集結させるのだ。もちろん人道的支援、食料・経済援助は大切である。しかし、受け身では飢えの根本的解決にはならない。農家に力を付けさせ、地産地消を目指すことが求められるからだ。

幸い、世界にはたくさんの技術者、研究者がいる。便利な機械や道具もたくさんある。私なら、現地の安全を確保して優秀な人材を投入。農業の指導と研究に当たってもらう。研修・実践を通して、ノウハウを伝えてもらうのだ。また、世界で不要になった農機具や自転車を集め、リサイクル。農作業の効率化も図っていきたい。

一方、飢餓問題を抱えている国は、総じて干ばつなどの自然災害の多い地域でもある。そうした過酷な場所に適した農作物が作られ、井戸や水道、灌漑が整備されれば、希望の光となるだろう。

こうして育てた農作物は国内での消費の他、買い取りや輸出で経済を活性化さえるよう導くのも国連の重要な役目だ。飢餓の解消は負の連鎖を断ち切り、健康で自立した生活への土台である。未来を担う子どもたちには、平等に学びの機会が与えられる。職業訓練では、仕事で稼ぐ技能を習得できるだろう。

今、食に豊かな国でも争いやいがみ合いがあるので、食の不満が戦争に結びつくとは断言できないのかもしれない。しかし、世界共通の問題として「飢餓」に取り組むことは、平和への一歩と私は信じる。私の好きな「ウィ・アー・ザ・ワールド」の世界観が広がるよう、私は国連事務総長として中立を保ちつつ尽力していく所存だ。

アフリカの貧困をなくすために、日本と国連がアフリカの子供達のためにできること
- もっと幸せな世界にしよう。君のために僕のために、そして世界のみんなのために -

公益財団法人 日本国際連合協会会長賞
山口県 下関市立菊川中学校 2年 坂倉杏香

マイケルジャクソンの「ヒール・ザ・ワールド」を知っているだろうか。この曲は私の目に世界の貧困という課題を映すきっかけを与えてくれた曲だ。アフリカの貧困をなくすために、アフリカの子供達のためにできることは何なのか。マイケルジャクソンの残したメッセージ「世界を癒す。」私は、あのあまりに悲惨な現実を知ってしまった時、自分の生きている時間がどれだけ幸せだったかを思い知らされた。

テストでは、なかなか良い点が取れず、成績はもちろん悪い。だから勉強なんて大嫌いだ。宿題なんてなくてもいいのに!そう思っていた私が、まさか世界に学びを広げようと思うとは、夢にも思っていなかった。世界の貧困という大きな課題。知っているようで以外と知らなかった現状。いや、もしかしたら自分には関係ない、と目をそらしていただけなのかもしれない。私は勉強は嫌いだったが、音楽は好きだった。ある時、音楽番組を見ていたら、優しいリズムの曲が流れてきた。「ヒール・ザ・ワールド」と出会ったのはこの時だ。私は画面の端に映る曲名を急いでメモすると、その後インターネットに向かった。文字を打って入力、検索。・・・あった、これだ。一回クリックするだけで曲が聴けるなんて便利だなぁ。そんなことを思いながら聴いていると日本語で訳された文も一緒に流れてきた。「君達はみんな兄弟だ」「世界を癒そう」「死んでいく人たちもいるんだ」「もっと幸せな世界にしよう」・・・私は、何回も何回も、何回も再生をくり返した。そのうちにこの曲が宝物のように思えてきて、このメッセージをもっとたくさんの人に伝えたい、届けたい、そう思った。私にできることって何?世界では今、どんなことが起きているの?私はすごくドキドキしていた。大切な何かに気づかされて、このままではいけない、そう思って、もういても立ってもいられなくなった。

画面に映る画像や文章に衝撃を受けた。薬や設備がなく、病気で死にそうな子供たち、小さな女の子がおいしそうに飲んでいたのは茶色くにごったどろ水で。今、こうしている間にもたくさんの命が失われている。一分間に十七人もの人が飢餓で亡くなるそうだ。そのうち私は文字が読めなくなった。目頭が熱くなって、見えなくなった。私は何をしていたんだろう。こんなに幸せで恵まれていることに気付かず、自分が生きていることに文句を言っている。あの子たちを助けないと・・・

私は考えた。なぜこんなことが起こっているのだろうか。そうしてたどりついた私なりの答えはこれだ。「学びが足りない。」

昔、戦後の日本も食料はなにもなくアフリカのようだったと聞いたことがある。だとしたらなぜ今のような日本があるのか、それは学ぶことができ、生きるための知識があったからだと思う。もう一つ、例えば貧困の地のお腹をすかせた子供が三人いるとする。一人には魚をとってきてあげて食べさせる。もう一人には魚のとり方を教えてあげる。最後の一人には何もしない。この中で、一番長生きするのは誰だろうか。

日本と国連がアフリカの子供達のためにできること、それは彼らが自立できるような援助をすることだと思う。もちろん募金も大切だ。だけど集まったお金をワクチンや食料に変えて命が助かったとしてもそれは一時しのぎにしかならない。やはり、生きるためには「学び」が必要なのだ。

「世界を癒す。」そのためにどれだけの時間がかかるかは分からない。ただ、今はもっとたくさんの人にこの現実を知ってもらいたい。