第52回 国際理解・国際協力のための全国中学生作文コンテスト 入賞作品紹介

受賞者/題目
外務大臣賞 東松山市立南中学校 留奥 元明さん
「国連は世界の子供達の未来をどのように輝かせるか」
文部科学大臣賞 沖縄県那覇市立松島中学校 平良 匠さん
「もしも私が国連職員なら何をするか」
公益社団法人
日本ユネスコ協会連盟会長賞
高水高等学校附属中学校 那須 浩子さん
「もしも私が国連職員なら何をするか」
公益財団法人
日本国際連合協会会長賞
和田中学校 竹岡 史子さん
「もしも私が国連職員なら何をするか」
公益財団法人
安達峰一郎記念財団賞
立川市立立川第一中学校 後藤 万里奈さん
「国連は必要か?」
日本放送協会会長賞 名古屋市立城山中学校 米田 羽那さん
「もしも私が国連職員なら何をするか」
国際連合広報センター賞 京都市立下京中学校 高谷 菜々子さん
「国連は必要か?」
金賞 宮城県仙台二華中学校 鈴木 美紀さん
「国連は世界の子供達の未来をどのように輝かせるか」
お茶の水女子大学附属中学校 吉原 勘太さん
「もしも私が国連職員なら何をするか」
福岡教育大学附属小倉中学校 水田 彩也花さん
「もしも私が国連職員なら何をするか」
銀賞 川越市立城南中学校 坂本 真彩さん
「もしも私が国連職員なら何をするか
~平和そして貧困の解消を目指して~」
神戸国際中学校 田野 里菜さん
「もしも私が国連職員なら何をするか」
大仙市立平和中学校 鈴木 理彩さん
「国連は世界の子供達の未来をどのように輝かせるか」
佳作 野田学園中学校 原口 咲希子さん
「国連は必要か? ~ 平和を願う私の思い ~」
伊良部中学校 長濱 アイシャさん
「国連は世界の子供達の未来をどのように輝かせるか」
浜松市立富塚中学校 鈴木 萌花さん
「国連は必要か? ~ 無数の笑顔が見えるまで ~」
盈進中学校 和田 健太朗さん
「もしも私が国連職員なら何をするか」
白馬村立白馬中学校 嶋田 多希さん
「もしも私が国連職員なら何をするか」

「国連は世界の子供達の未来をどのように輝かせるか ~未来に叶える夢が輝く~ 」

外務大臣賞
埼玉県東松山市立南中3年 留奥 元明

僕は未来に切り拓きたい夢がある。

国連職員として教育の改善に携わり、特に国際公用語となる各国の英語教育を充実させ世界の子供達が輝く未来を創る。その想いとリンクしたホームページを国連の中に見つけた。「MDGs」 “Millennium Development Goals”の頭文字だ。

「国連ミレニアム開発目標」とは何だろう。

素朴な疑問を持って詳しく調べた。先の見えない将来を光ある方向へ導く為に、国連が8つの目標を掲げ、世界の国々が協力できるように取り組んでいることがわかった。

“WE CAN END POVERTY 2015”「我々はできる、2015年貧困に終止符を打つ」―ゴールは近い。

しかし、本当に今の国際社会でこれを達成できるのか。具体的にはどのようにして成功に導くのか、様々な視点から背景を理解すると、これはゴールでない。壮大な取り組みのスタートラインだと気がついた。

身近に感じることができた目標を例に取り達成された後、すぐに続く課題を考えた。“普遍的な初等教育の達成”―「2015年までに全ての子供達が男女の区別なく、初等教育の全課程を修了できるようにする。」続く課題は将来に向け、現実を見ても明らかだ。例えこの目標が達成されても、土台が整備されたに過ぎない。現実的には全ての子供達が初等教育をどれだけ等しく学ぶことができているか。学ぶ環境に格差はないか、受けた教育をどのように生活に活かしていくことができているのか、国によって全く違うと言える。なぜなら昨年、僕は国連欧州本部を訪れたが、国によって教育環境が全く違う等、現実が直面している課題を知ったからだ。将来的に考えても教育は初等教育が全てではない。だからこそ、国連が必要である。世界の子供達の未来を輝かせるために、国と国とが力を合わせることは国連だからできることだと思う。

ではどのように導くか。初等教育は大きな畑に小さな種をまいたようなものだ。一粒一粒まいた種が、芽を出して、大きく育っていく為には、栄養分の多い土、つまり社会という土壌がしっかりしていなければ、すぐに枯れてしまう。きれいな空気や輝く太陽の下でなければ、健康的に育たない。いつか大きな大木となって、1本1本の木が力強い広大な森を創るには、並々ならぬ努力と相当の年月が必要だ。また人々の意識や社会を変えるのは、どれだけの時間がかかるのだろう。地道に初等教育を行って一人ひとりの識字率を上げることで、学力が向上し、人は学び自ら成長できるようになる。そうして育った大人が互いの国を理解できるようになると、人と人の争いもなくなり、国境を分けて戦っている紛争も撲滅する。そこに平和が訪れる。国連が目指し、国連だからできることだ。こうして育った人間が平和な地球で活き活きと、暮らす姿は、国連の旗である平和の象徴のオリーブの葉が、北極を中心として描かれた地球を包むようになるのと同じである。国連が地球を緑の森で覆い、水の惑星として宇宙の中で青く輝く地球を創る。必ず平和な時代に生きる子供達の未来は輝かせることができる。 非常に難しいがやり甲斐がある取り組みだ。

僕は夢を諦めずに必ず貢献したい。世界の子供達の未来は、今まさに発展途上国で暮らす子供達と同じ時代を生きている、同じ未来のある僕達の手の中にある。世界の子供達の未来を輝かせるのは、僕達が今真剣に考えて厳しい環境の中で暮らす子供達の日々の生活と人々の意識を変えていけるか、国際社会を人の絆で結べるかどうかにかかっている。

やがて夢は叶うと信じている。―世界の子供達が輝く未来を創るのは国連の使命―たゆむことのない国連の活動と共に国際社会の未来はゆるやかに変わっていく、それが世界の子供達の輝く未来を必ず切り拓くと。

「もしも私が国連職員なら」

文部科学大臣賞
沖縄県那覇市立松島中学校 3年 平良匠

「これが病院?」テレビ番組で、ある発展途上国の病院の様子を取り上げていた。そこは決して清潔とはいえない部屋。一部がさびた医療器具。女性が出産する場面では、出産するために必要な器具を3時間以上もかけて煮沸し、薄暗い部屋で赤ちゃんを抱きかかえる母親の姿が映っていた。

僕は目を疑った。信じられなかった。病院といえば、清潔な部屋で病気や怪我などを治療してもらうところだと思っていたからだ。

病院は病院でも、テレビに映る環境では救える命も救えないのではないかと思うほど不衛生だ。地球上には、食糧が足りず、子供たちが学校にも通えず労働させられている国が今でもあるというのは、授業などを通して学んではいたが、命を救うはずの病院もこんな状況とは・・・。

もしも僕が国連職員ならこのような国の「医療設備の充実化」を実現したい。戦争で大きな傷を負った少年兵や、蔓延する感染病で苦しむ人達がどれほど多くいるのだろう。しかし、彼らは僕と同じように“生きている”。過酷な状況の中で必死に生き抜いてきた奇跡的とも言える命なのだ。けれど、周りに不完全な医療設備の病院しかなければ、奇跡の命が絶たれてしまうかもしれない。

しっかりした教育を受けさせるなどという、貧困から彼らを救うための具体的な活動は現在も行われている。そのような活動も必要だが、まずは彼らの命が大切にされないと、いくら大きな目標を掲げても無意味ではないだろうか。

貧困地域にある病院の施設を清潔に保ち、決して使いまわしなどないよう十分な数の医療器具を揃える。また、戦争や紛争地域に多い感染症を防ぐため、ワクチンの接種を今よりもっと広めるといい。退院してきた人たちが笑顔になるような「本当の病院」が理想だ。新しく生まれてくる命も温かく迎えたい。

そのためには、まず十分な薬や医療器具を揃えることが必要だ。それには、一人ひとりの協力が欠かせないものになってくる。例えばお店などにある募金箱には、少しの工夫だが、集まったお金で何をするか具体的に記されたものがあれば、募金する側の国際理解がより深まるだろう。間接的ではあるが、誰にでもできる国際協力が身の回りにはたくさんある。国連が母体となって、それらの重要性を伝える必要があると思う。

次に、現地で働く医師がいないといけない。そこで、国連という世界的な存在を生かしたい。医療技術が発達した国を中心に、国境をこえて働きたい医師を募集する。今、僕も医者を目指しているので、将来は国連と協力して世界中の命を守り、「本当の病院」を作っていきたいと思っています。

命の保護に国によって格差があってはならない。世界中すべての命一つ一つが輝くものだからだ。世界から戦争や貧困をなくし平和になることが一番だが、その実現の日はまだ遠そうだ。だから、まずは今ある命に目を向け、医療設備を充実させて“生きる”ということそのものを大切にするべきではないだろうか。守られた命の上に、教育制度が実現すれば、そこで医療技術を伝授し、将来はそれぞれが自国の命を救って欲しいと思う。命があることで、その先の可能性は無限に広がっている。

そんな、僕の夢を支えてくれるだろう国連。もし僕が国連職員と会談する機会を得ることができたら、この強い思いを是非伝えたい。それが、国際的に活躍する医者を目指す僕の、今踏み出せる第一歩となるだろう。

医療設備を充実さえるのはとても難しいことだ。しかし、それが多くの命を救うことであるとともに、輝く笑顔をつくることにつながるのを忘れてはいけない。医療をきっかけに世界が変わる、と僕は信じている。

「もしも私が国連職員なら」

ユネスコ協会連盟会長賞
山口県岩国市 高水高等学校附属中学校3年 那須 浩子

私は今年の夏、初めて三泊四日のユネスコ子どもキャンプに参加しました。今年は、私の住む山口県岩国市で開催されました。

私はこのキャンプで特に心に残ったことがあります。それは、三日目のペリースクール生との交流です。私の住む岩国市には米軍基地があります。私の家から自転車で十五分のとても近い所にあります。ペリースクール生とは、そこに住んでいる小・中学生のことです。

私の班にはペリースクール生が三人やって来ました。小学四年生の女子と私と同学年の男女、の計三人です。その中の私の班の同学年、つまり中三の男子は学校で日本語を勉強していました。ゲーム遊びなどのとき、彼は私たちが日本語で説明すると、それをあとの二人に英語で説明してくれました。

私たち日本人でも国語は難しいと思うのに、同じ中三生の彼が通訳できることが本当に驚きでした。さらに彼は、日本語をもっと勉強して日本のお店で働きたいと言ったので、私はもっと驚きました。それは単に日本語が話せるだけではなく、自分の将来について真剣に考えて学校生活を送っていることがわかったからです。

その日の昼食は、ペリースクール生と、うどんを一緒に作って食べました。最初出会った時は両方とも緊張のせいか何も話せませんでした。しかし、料理を一緒に作ったり食べたりするうち、互いに慣れない英語と日本語を使ってどんどん会話が弾むようになりました。同じ日本語でも、言葉をもっと簡単な言葉に置き換えたり、英語に翻訳したりする作業を、この時ほど真剣に行ったことはありませんでした。しかしその試みがうまく行くと、相手の心に伝えたいことがスーッと入って行くのがよくわかりました。その時は思わずお互いが笑顔になりました。

黒人と白人が同じ班に割り当てられた所もありましたが、私たち日本人が一緒に入ると肌の色を見ているだけで、これが国際社会なんだと変な感慨を持ちました。今世界では、肌の色が違うだけで差別を受け、戦争や貧困のため食事ができない子ども達がたくさんいます。私は、自分と違う国の子ども達と一緒に食事をすることができて単純に幸せだと思いました。

私の班の奈良県から来た少女が、「私は外国人の子どもと初めて話したよ。初めは、テレビとかで見る外国人は怖いイメージしかなくて話すのに抵抗があったけど、話してみるととても楽しかった。」と言っていました。

国連は、私たちとペリースクール生との交流の架け橋となってくれた通訳のできる彼のように、国と国を繋ぐ架け橋だと思います。もしも私が国連の職員なら、世界には怖い人ばかりではなく一緒に笑いあったりできる優しい人がたくさんいるということを伝えていきたいです。班の少女が外国人は怖いイメージしかないと言いました。私はその感想や言葉を消し去っていきたいです。自分で見たこと感じたことを素直に正直に伝えられる職員になりたいと思います。なぜなら、私たち子どもは一緒に食事をしてもキャンプをしても争うことはないし、互いに相手を思い合い、譲り合うことを知っているからです。

国際社会ではいまだに紛争が絶えません。先ごろシリアでは日本人ジャーナリストが殺されました。本当に悲しい。今年、子どもキャンプのテーマは「心に橋をかけよう」でした。子どもにとって橋をかけることはそんなに難しいことではないのに。

私は、ペリースクール生と別れる時、日本語で「ありがとう」と言われました。そのとき、私は本当にみんなと心が通じ合えたと思いました。自分が他国の人のことをもっと知り、素直な心とすがすがしい目を持って接することさえできたら世界中に笑顔が溢れると思います。

「もしも私が国連職員なら何をするか」

公益財団法人日本国際連合協会会長賞
鹿児島県 和田中学校3年 竹岡 史子

もしも私が国連職員なら、したいことが二つある。ボルネオ島の熱帯雨林の保全と、マレーシアへのスタディツアーの推進だ。

私は、一昨年と昨年の夏、二年続けてマレーシアを訪れることができた。一昨年は、西マレーシアの都市マラッカを、鹿児島市の中高生派遣で訪れた。マラッカで驚いたのは、交流した学校で、いくつもの民族が同じ教室で学び、複数の言語が飛びかい、それが当たり前だったことだ。この学校には、マレー人、華人、インド人などの生徒がいて、マレー語、英語、中国語など三つ以上の言語を話す人も多く、皆の仲もとてもよかった。

一方、昨年は、東マレーシアのボルネオ島を、JICA(国際協力機構)の研修で訪れた。ここで特に印象に残ったのは、ボルネオ島の熱帯雨林がとても豊かだったことだ。一昨年のマラッカでのステイ先は裕福なお屋敷で、高い天井ではレトロなファンが回り、温水シャワーもいくつもあった。街には多くの車が走り、ショッピングセンターもあった。

ところが、ボルネオ島でステイした、高床式で長屋のようなロングハウスでは、電気は自家発電で、夜間に数時間ライトをつけるだけで、冷蔵庫はなかった。商店もなく、買物は船の移動販売にたよっていた。マラッカと比べるとずいぶん不便な暮らしに思われたが、それでも、ステイ中、マラッカと変わらないほど居心地がよかった。どうしてだろうとふりかえってみると、それはきっと、ロングハウスが熱帯雨林に囲まれていたからだと思う。

ボルネオ島は世界で三番目に大きな島で、熱帯雨林は大きく深い。先住民族イバン族が住むロングハウスまで、サラワク州のシブ市から川を二時間半もさかのぼってようやくたどり着いた。だがその熱帯雨林は、イバン族の人たちに様々な恵みをもたらしていた。まずその深い森のおかげで、熱帯ではあるが日中もさほど暑くなく、朝夕は涼しかった。ロングハウスでは、森からひいた冷たく清潔な水が蛇口から出た。また、森の草や、川の貝や小魚をとって調理してくれた。私もごはんを手で食べた。指先を三角にしてすくい、親指で押し出すというこつを教わった。おいしかった。さらに、ゴムの木からとれる樹液を固めたものが、貴重な現金収入となっていた。

そのようなイバン族の暮らしを体験したことから、もしも私が国連職員なら、まずボルネオ島の豊かな熱帯雨林の保全につとめたい。近年、ボルネオ島の樹木の伐採が進んでいる。私が小船で川を渡っている途中にも、川岸に伐採された木が積み上げられているのを何度か目にした。伐採された木は、工業用ベニアや紙の原料のチップとなる。また、マーガリン、食用油、シャンプーなどに使われるパーム油をとるために、森がどんどんアブラヤシ農園に変えられている。イバン族の生活の糧を生み出してくれる森を、守らなくてはならない。この森はまた、年間を通して高温多湿なので、豊かな生態系をもつ。植物はウツボカズラやラフレシア、動物はテングザルやオランウータンなど、希少な生物もいる。さらに、熱帯雨林は二酸化炭素の吸収率が高いため、森を守ることは、地球温暖化の抑制にもつながる。熱帯雨林の保全と開発の両立は決して容易ではないが、地球の将来のためにも、真剣に取りくまなければならない問題だ。

次にマレーシアへのスタディツアーを推進したい。私はマラッカの学校で、いくつもの民族が、複数の言語を使いながら共に学んでいる様子を見た。一方ボルネオ島では、熱帯雨林の豊かな恵みを知ることができた。世界には日本語以外に多くの言語があることも、熱帯雨林の居心地のよさも、現地で直に体験することで、五感で納得できた。マラッカなどの都市とボルネオ島の両方を訪ねるスタディツアーは、人類の共生と地球環境の保全を考える上で、有意義なものとなるに違いない。