第50回 国際理解・国際協力のための全国中学生作文コンテスト 入賞作品紹介

受賞者/題目
外務大臣賞 群馬大学教育学部附属中学校 吉川 綾乃さん
「世界から貧困をなくすために国連がすべきこと」
文部科学大臣賞 六本木中学校 冨田 キアナさん
「もしも私が国連職員なら」
社団法人
日本ユネスコ協会連盟会長賞
石川県立金沢錦丘中学校 高田 論之さん
「もしも私が国連職員なら」
財団法人
日本国際連合協会会長賞
AICJ中学校 市川 絵理さん
「もしも私が国連職員なら」
財団法人
安達峰一郎記念財団賞
北海道教育大学附属札幌中学校 三上 侑祐さん
「もしも私が国連職員なら -世界をつなげるために-」
日本放送協会会長賞 大分市立明野中学校 森山 心月さん
「もしも私が国連職員なら」
国際連合広報センター賞 富士見中学校 八巻 朱音さん
「核兵器のない世界に向けて国連がすべきこと」
金賞 私立滝中学校 北川 絵梨さん
「核兵器のない世界に向けて国連がすべきこと」
AICJ中学校 奥田 智浩さん
「核兵器のない世界に向けて国連がすべきこと」
京都市立桃山中学校 中村 拓矢さん
「世界から貧困をなくすために国連がすべきこと」
銀賞 金沢大学人間社会学域学校教育学類附属中学校 夷藤 若奈さん
「もしも私が国連職員なら」
私立滝中学校 伊佐地 里帆さん
「世界から貧困をなくすために国連がすべきこと」
愛媛県立松山西中等教育学校 山下 春香さん
「核兵器のない世界に向けて国連がすべきこと」
佳作 佐賀清和中学校 井上 歩さん
「核兵器のない世界に向けて国連がすべきこと」
南あわじ私立三原中学校 野水 秀穂さん
「もしも私が国連職員なら」
聖徳大学附属中学校 田村 陽香さん
「核兵器のない世界に向けて国連がすべきこと」
大津市立粟津中学校 河原田 理愛さん
「核兵器のない世界に向けて国連がすべきこと」
郡山市立郡山第五中学校 宗像 絵さん
「核兵器のない世界に向けて国連がすべきこと」

「貧困をなくすために国連がすべきこと」

外務大臣賞
群馬大学教育学部附属中学校 3年
吉川 綾乃さん

「あなたが生まれた時の写真よ。」

母が私に見せてくれた写真には、私をとりあげてくれた先生、父と母、そして、母の腕に抱かれた小さな私が映っていた。きれいな病室の中で、みんながほほ笑んでいる。赤ちゃんは、こんなふうに家族に迎えられるもの。私はそう思っていた。

しかし、テレビでアフリカの国の病院の映像を見て、驚いた。というより恐ろしくなった。簡易な施設。うす暗い病室。使い回しをされる器具。そして、出産時の感染症で苦しむ女性や、小さな産院代わりの小屋を目指し、家から十キロ以上歩き、その途中で母子ともに命を落とす女性が少なくない現状を知った。世界では、出産や妊娠により、1分間に1人の女性がなくなっているという。彼女たちが貧しく、教育を受けていないことがその原因だと締めくくられていた。見終わった時、私は自分の誕生が奇跡のように思えた。

私は、日本で生まれ、無事15歳の誕生日迎える。もし、私の家が非常に貧しく、学校に通うことができなかったらどうしていただろうか。一日中働いていたのかもしれない。読み書きもできなかったかもしれない。本や手紙を読むこともできないし、いろいろな情報を得ることもできないだろう。好きな職業に就くことも難しくなるだろうし、薬の説明書が読めなければ、病気の治療か予防もできなくなる。たとえ貧しくても、義務教育という制度のおかげで、日本の子供の多くは読み書きに不自由しない。日本が戦争後、復興出来たのは、しっかりした教育があったからだと、アフリカの国々が日本の教育をお手本にしているという話を聞いたことがある。貧困の拡大をストップするのは教育なのだと思う。

だから、貧困をなくすために、私が国連に期待することは、しっかりと教育を受けられるような環境をつくり、すべての子供たちの可能性を広げてほしいということだ。いずれ自分の好きな職業に就いたり、事業を起こしたりできるようになれば、彼らは貧困から抜け出すことが出来る。そのために必要となるのは、天候に左右されず勉強できる建物や本、文房具だ。しかし、建物があれば学校なのかと言えば、そうではない。先生と友達がいて初めて学校になるのだと思う。友達が増えれば、教えてくれる先生も増やさなくてはならない。学校に通えても、食糧が不十分で、お腹がすいていれば授業に集中できないから、給食のような仕組みもあるといい。働き口を見つけるための、職業訓練の場もつくらなくてはならない。

でも、現実には、生きるため、家計を助けるために多くの子供は働かざるを得ない。だからこそ、日本のような義務教育の制度をつくってもらえるように、働きかけて欲しい。そして、私は、特に途上国の女子が教育を受けられるような環境をつくって欲しいと思う。教育を受けるということは、世界人権宣言に書かれているように、人間として等しく持っている権利であるけれど、男子しか教育を受けられない地域があったりする。私は、女子が教育を受けることで貧困は必ず改善していくと思う。

国連は、途上国の人々が抱える貧困か教育健康問題等の問題について、世界が目指す八つの目標を定め、2015年までにその目標を達成しようとしている。貧困か途上国での妊産婦死亡率の削減、初等教育の普及もその目標に掲げられている。八つの目標達成の年まであと5年。私は二十歳になる。貧困も教育の問題もすぐに解消できるわけではない。教育環境を作るということは、お金も時間もかかることだ。でもせめて、自分とは関係のない問題として目をそらさずに、いつか、豊かさが循環する社会のための力になりたいと思っている。この目標は、国連の目標ではなくて、私たちの目標なのだから。

「もしも私が国連職員なら」

文部科学大臣賞
港区立六本木中学校2年
冨田 キアナさん

水色の美しい国連の旗を見て、“どこの国旗だろう?”と誰もが1度は関心を持ったことだろう。間違いなく私もその1人だ。

その疑問が解消した私は『国際連合』がどのような活動をしているのか興味を持った。“世界中の飢餓・貧困を救う”とてつもない壮大なプロジェクトが進められ、そこに国境を越え、数多くの国々が1つのチームとなって協力していることにとても驚き、そして深く感動した。

「もし私が国連職員なら」“やるべきこと”と“やってみたいこと”がそれぞれ2つずつある。

まず“やるべきこと”とは、積極的なアピールだ。国内外に向け、主張などを訴えていく必要があると思う。

初めに、日本は巨額な負担をしているが『常任理事国入り』できていない。大きな役割を担う一員として誇りを持って活動しているのだから「もし私が国連職員だったら」世界中に、日本の貢献ぶりを猛アピールするだろう。

次に、国連職員になる人材の育成や、関心・理解を求めるため、青少年へのアピールも欠かせない仕事だ。

一方で“やってみたいこと”の1つ目は、初等教育のための学校の整備と設立だ。

これは私自身の経験から感じたことだが、小中学校で学んだ様々な内容はとても大きな意味を持つと思う。今後の学業の基礎となるだけでなく、生きていく上で必要な知識や役に立つ情報が得られ、更にはこれから先の人生で、一緒に笑ったり泣いたりできる友だちと出会えるからだ。

お金では買えない大切なものが手に入る場を1つでも多く“世界中の子どもが皆楽しんで通える学校づくり”を手掛けることができれば正に夢のようだ。

二つ目のやってみたいことは“地域担当型”の支援だ。

これまでのような、1つ1つの問題を『国連』を通じ、みんなで支援するALL FOR ONEのやり方とは違い、ある一部の国や地域に担当する国を割り当て、そこで起きている様々な問題全てを、割り当てられた国が直接担当するONE FOR ALLのシステムだ。

例えば、食文化として米を食べている地域で、台風が多く満足に稲が育たず、常に食糧危機的状況があるとする。仮に、日本がこの地域の担当だったとすると、小麦を主食とする国よりも、同じ米を主食にしていることで事態の重大さが痛感でき、一刻も早く対応したいと思うだろう。

また、台風が多く同じような被害で苦しんだことがある経験から、具体的な対策と素早い支援用品の調達ができる。技術力や既に持っているものを提供出来る支援だから、経済的にもメリットがあると言える。

今までのやり方を全て変えたいと主張しているのではなく、あくまで一部分の新しい試みとして考えて欲しい。無論、1つの国の支援では解決できないこともあり『国連』という母体があるからこそ挑戦できる提案なのだ。

そこで、世界各国で文化や宗教・言語など様々な違いがある中、ルーツが同じと言うことが多々ある。“地域担当型”で支援する場合、相手国との異文化を理解する近道になるのではないかと考え、そういった共通点のある国や地域を担当・支援するのだ。きっと、これまでとは違う成果が得られるのではないだろうか。

「もし私が国連職員なら」この様なことを世界に向けて発信し、国際理解を求めると共に、日本国内にも国際協力を訴えていくだろう。

「もしも私が国連職員なら」

社団法人日本ユネスコ協会連盟会長賞
石川県 金沢市錦丘中学校3年
高田 論之さん

ぼくはこの夏、大きな挫折を味わった。小さな頃から水泳を練習し、中学校での大きな目標だった、全国中学水泳大会に出場を決めることができなかった。「何のために今まで練習してきたんだ。」心の中で叫んだ。

「何のために」・・・

2年前、水泳クラブの大会の直前、姉の通うインターナショナルスクールのあるカナダに家族で行くことになった僕は、そこでもプールで自分のメニューで練習しすごすことに決めていた。しかし実際プールに行くと、地元の水泳チームの子どもたちに教えてほしいと声をかけられ毎日一緒に泳いだ。それは驚くほど楽しい経験で、言葉が通じないけれど、笑顔でいられた。水泳って、皆で泳ぐって、すごい。違う国の人と一緒に笑うって、簡単でとても幸せなことなんだ。

練習の後で訪ねた姉のスクールで、姉の友達のブータンから来ているツェリンと会った。さっそくツェリンに水泳の話をすると、地元にプールがないから、水泳のことはわからないし、興味がないという。僕はがっくりした。水泳を通じて国が違っていてもつながることができると思ってたのに。その時ツェリンが言った。「一緒に走ろう。」湖のまわりを走り、丘の上まで走った。ぼくは木ばかりの道のない所を走った。3人で笑い合ってものすごく気分が良かった。そうか、水泳でなくてもどんなスポーツでも、国境をこえてつながってゆけるんだ。

次の日、スクールでのサッカーを見た。姉の言うには、まだ英語をよく話せない生徒も多いという。その中に、お金がなくて靴の買えない子がいて、はだしでサッカーをしていた。その時、まわりの皆が、靴をぬぎ始めた。皆がはだしでサッカーをしている。言葉もうまく通じない生徒もみんなすごいチームプレイだ。この時僕は思った。スポーツは、国境を越えて人と人とをつなげてくれる上に、大きな思いやりの心までも生む。

今、世界では、民族、言語、宗教といった価値観の違いなどから、紛争、内戦が起きている。お互いにゆずれない何かがあって、分かり合えない大きな壁がある。でも価値観って何だろう。それはみんなが生まれた時から持っているものではなくて、育ってゆく中で教育や大人の態度などを通して作られて行くものではないだろうか。そして相手のことをよく知らないまま憎しみやいやな気持ちが子どもへ、またその子どもへと伝わっていくのではないか。

姉のスクールでは世界百カ国の生徒がいてイスラエルとパレスチナの生徒が同じルームメイトにもなる。

僕が国連職員なら、こんなスクールを世界中にたくさん作りたい。世界の中では小さな点々かもしれない。でも姉がスクールに行ったことにより、僕も家族も多くを知った。姉は僕の中学校に香港の友人と来て、スクールについて話をし、中学校の皆も多くを知った。その子どもたちがまたそれを家族に友人に話すかもしれない。また姉のスクールは奨学金により無料だ。だから友人にはカンボジアでゴミ拾いをしていた子もいると言う。一つでもそんなスクールを作って、そして皆がそこで国境を越えてすごし、学び、スポーツをする。世界各国からの先生による授業で、皆でとことん話し合おう。そうすれば大人になってからどうしても理解できない壁が少しでもなくなるのではないか。

「何のために水泳をやってきたんだ。」と水泳をやめようとまでは僕は思った。でもこれがきっかけで、大きな夢と共に泳いできたことにはっきり気付いた。

僕が国連職員なら、この時の僕を考える。中学生の僕が体験したことによりスクールを作りたいと思ったこと。何より世界とつながりたいという夢を持っていたことを。

「もしも私が国連職員なら」

財団法人日本国際連合協会会長賞
広島県 AICJ中学校1年
市川 絵理さん

「今日、私達はこの場で、個別に、そして全体として、我が国の人民とともに闘っていただいた国連とその加盟国に対し、感謝の気持ちを伝えたいと思います。この共闘により、私達の解放が実現し、人種主義を遠くへ押しやることができたのです。」これは、1994年国連総会でのネルソン・マンデラ大統領の演説だ。マンデラ大統領の国、南アフリカでは昔、「アパルトヘイト」という人種差別が行われた。私はこれを初めて知ったとき、衝撃を受けた。人種の違いだけで差別するという理不尽なことは二度と繰り返してはいけないと思った。だから私はアパルトヘイト制度について調べた。

この差別の始まりは、17世紀半ばにオランダ人が入植したことに由来する。それによって白人による人種差別制度、政策が徐々に定着していき、1948年に政権を握った国民党はオランダ系白人を基盤に、より徹底した人種差別制度をつくり上げた。そのねらいは、南アフリカ共和国の住民を白人、黒人、カラード、アジア人の4つの人種グループに分類し、白人の絶対的優位を前提に政治、経済、社会、文化のあらゆる分野にわたって非白人を差別し、最終的には各人種を分離してしまうことだ。白人中心の身勝手な制度は有色人種の参政権を認めず、白人と有色人種との婚姻を禁止するなど、厳格な人種差別政策まで取った。しかし、全廃に向けて動き出してから8~9年かかっての全廃であり、アパルトヘイトが始まってからは約50年もかかっている。

南アフリカでは、全廃までずっと人々が苦しんで来た。でも、もっと早くに全廃することができたのではないか。国民党が政権を握ったのは1948年であり、すでに終戦を迎え、国連も成立していた。つまり、国連による差別の撤廃は、法律などで決めることが可能だったのではないかと思った。しかし、経済制裁など、直接的な差別の根絶につながらないことでしか差別全廃のきっかけを作れなかったということは、他の機関による干渉は難しいのだと思う。

では、もしも私が国連職員なら何をするのか。まず一つ目に、今の世の中から人種や貧富による「差別の考え、意識」をなくすための活動を積極的に行い、差別のきっかけとなる人々の意識をなくすことを大切にする。既に始まった差別の全廃は難しい。なので、学校などを中心に小さい頃から教わることで子供が大人になってから、新たな差別が行われることを防ぐためだ。

二つ目は国連での世界人権宣言についてさらに吟味し、法的拘束力を持つものにすることができればいいと思う。今の制度では、「すべての人民とすべての国民とが達成すべき共通の基準として」が採択されただけだ。それでは、本当にすべての人民が権利を守られているかというと、私はそうではないと思う。今でも人身売買をしていたり、人としての自由を奪われて生きている人がいるのではないかと思う。そこで、国連、国によって調査し、新たな法の下で人権を守る活動をしたいと思う。廃絶することはできないかもしれないが、少しでも多くの人民を守り、解放できればいいと思う。

私は、この問題を採り上げてみて、昔から何からも守られず、自由を奪われている人がいるのではないかと思った。大切な人権を守るには、国連だけでは難しいと思う。だからこうして人権について取り上げ、1人1人が考えていくことで、差別全廃に向けた大きな力になると思う。人の行動でアパルトヘイトがなくなったように、次は私達の行動で、世界の人権を守っていけたらと思う。